第二部 窮地

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第二部 窮地

          【四】逮捕  十月三十日。  鴨林からの報告は七係のグループラインで共有されており、葛木潤も一通り目を通したのだったが、しかしどうして和泉が逮捕されることになったのか、その点がイマイチ解らない。夏帆もその点を疑問に思ったらしく、問いかけのメッセージが表示される。今頃自宅でイライラしながら、パソコンのキーボードを叩いているに違いない。夏帆は未だにガラケーユーザーだから、SNSを使うときはパソコンなのだ。  慌てて確保した新大阪行きの新幹線の車内は、緊急事態宣言解除後、徐々に週末らしい賑わいを取り戻していた。  新幹線がトンネルに入ったのを機に、葛木は座席テーブルにスマートフォンを置き、腕を組む。外見は、スーツ姿の平凡なサラリーマンそのもので、葛木を刑事だと初対面で見抜いた人は誰もいない。自分でも、刑事に見えない特徴のない外見だと思うし、捜査一課殺人犯捜査七係の中で最も個性がないと思う。それがいいのよ、と夏帆は言うが、自分では何がいいのかよく解らない。とにかく唯我独尊、我田引水で独断専行である夏帆の相棒として、彼女の行動に必死に食らいついてく毎日なのだ。  あきる野署盗犯係から夏帆に引き抜かれて殺人犯捜査七係に配属されて以来、七係の他の仲間たちの単独行動には慣れっこになっていたが、さすがに今回はやりすぎだし、それが完全に裏目に出たとしか言いようがない。 「和泉も鴨さんも、一体何やってるんだよ――」  葛木が思わず呟くと、隣の席の正木芽衣が「でも、悪いことをしてたんじゃないんですから」とニッコリ笑った。ストレートのロングの黒髪。眼鏡の奥の大きな瞳。芽衣もまた、刑事だと初対面で見抜かれたことはないらしいが、それは納得できる。葛木も、芽衣と初対面のときはーー特殊なシチュエーションではあったがーー刑事と見抜けなかった。  敬語不要ルールのある七係の中で、芽衣だけは誰に対しても敬語で話す。その方がしっくりくるらしい。一見するとおっとりしていて大人しく、ニコニコ笑顔を絶やさない、そんな芽衣を漢字一文字で表すなら『優』がピッタリくる。優しくて優秀。ちょっと頼りなさそうに見えることもあるし、実際、うっかりミスもあるのだったが、しかし彼女もまた夏帆が自ら選抜した刑事だけあって、観察眼、洞察力に優れた優秀な刑事なのだった。 「でも、本来の仕事を放り出して大阪まで行ったのは、さすがによくないと思うけどな」  葛木が言う。芽衣はにっこり笑ったまま、「目の前の犯罪を取り逃す方が、よくないと思います」と応じた。それはそうだけど――葛木が頭をかくと、芽衣は「葛木さんはまさか、自業自得だなんて思ってませんよね?」とニッコリ笑う。この笑顔で正論を言われると逃げ場がない。まあでも、確かにそうだ。別に規律違反をしても、組織のルールから逸脱しても、えん罪は自業自得でも自己責任でもない。無実の人間を逮捕したのも、そして真犯人が野放しになっているのも、警察側の責任だ。  鴨林からの返信が届く。《そこはよく解らんねん。和泉とわしは別々に聴取されてて、わしの方の聴取が終わって待ってたら、和泉が手錠をかけられてて》  二人は天王寺駅で吐血した女性を搬送する救急車に乗り、近くの救急病院へ行った。搬送時、女性は発熱していたため、和泉と鴨林も念のためコロナの検査を受けることになり、隔離された。それからコロナはすぐに否定されたが、その後まもなく女性は死亡。殺人事件の疑いがある中で、すぐに大阪府警の刑事の聴取が始まり、だから夏帆に連絡する暇もなかったとのことだった。もっと早く連絡してくれてたら、と夏帆は文字で怒っていたが、そうなったら葛木が東名を夜通し運転する羽目になっていたかもしれない。
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