第二部 窮地

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         * 「話は解りました――でも、どうして私が協力しなければならないんですか?」  西岡夏帆と言う刑事は相変わらずの強引さで、人を巻き込もうとしてくる。刑事として優秀なのは解る。助けられた恩もある一方、一時は対決することになったという因縁もある。そんなこちらのモヤモヤを知ってか知らずか、電話の向こうの夏帆は《優秀な弁護士って言ったら、あなたしか思い浮かばなかったのよねー。ね、平坂センセ?》と笑い交じりに言った。  平坂七瀬は眉間のシワを指で摘まむ。ちょっと頭痛がしてきた。夏帆と知り合ったのは、もう二年ほど前になるか、七瀬がまだ東京で仕事をしていたときのことだ。まだ当時、弁護士になりたてだった七瀬は、ある事件に巻き込まれ、そのときの担当刑事が夏帆だった。  刑事と弁護士として、そして事件の関係者として夏帆とは対立関係にあったのだが、最終的にその事件の真相を明らかにしたのは夏帆だった。やり方は強引だし、警察のルールに則ったやり方だったとは思えないが、しかし夏帆だからこそ事件を解決できたことは間違いない。それを目の当たりにし、その実力を知ってはいるものの、だからといって全面的に信頼しているわけではなかったし、ましてや突然、《冤罪事件をやってくれ》と頼まれるような関係性ではない。そもそも、再会の可能性なんかこれっぽっちも考えていなかった。東京の大きな弁護士事務所から京都の小さな法律事務所に移って、日々の業務に忙殺されるうちに、夏帆の存在も思い出さなくなっていたというのに。  縁は思わぬところで巡ってくる。 「何とか頼みますわ、平坂先生!」七瀬と向かい合って座る鴨林と言う刑事が手を合わせて拝むポーズで言う。事務所に突然やってきた鴨林の差し出したスマホに出てしまったのが運の尽きだった。七瀬はため息をつく。 「事件概要は解りました。わざわざ京都まで私を訪ねて来られた理由も解りました。解りましたけど――手掛かりが少なすぎません?」 《そうなのよ! だから、和泉と直接会って、大阪府警が何を掴んでいるのか探る必要があるの。でも、四十八時間勾留(ヨンパチ)の間は弁護士以外会えないでしょ。あたしが行ければ、弁護士の振りでも何でもするんだけどさ》 「それって違法ですよ」 《冗談よ! 関西に行ったんだから、冗談ぐらい通じるようになったかと思ったけど、相変わらず真面目ね。ね、平坂センセ――、うーん、この呼び方、やめよ。ね、七ちゃん》 「七ちゃん!?」 《いいでしょ。呼びやすいし》 「そういう問題じゃ――」 《ねえ、無実の人間に手錠がかかっているのよ。彼の警察官人生が終わるかもしれない瀬戸際なのよ。そういう人間を救うのが、弁護士の使命じゃないの?》  それを言われると厳しい。助けを求めて、自分のデスクに座ったままの所長の織田に視線を向けるが、いつものように《力になってあげなさい》と言うメッセージのこもった優しい微笑を返してくるだけだった。弁護士になってから、刑事事件なんかほとんど経験はない。冤罪事件の経験もない。日々忙殺されているのはほとんどが生活相談だ。 《あなたにしかできないと、見込んで頼んでるのよ》  うまく乗せられているのもよく解っている。でも、やらなきゃいけないか。 「解りました。大阪へ急ぎましょう」  七瀬は立ち上がり、借りていたスマホを鴨林返す。左胸の弁護士記章に右手を伸ばし、そっと触れる。弁護士は困っている人の味方。私は弁護士。弁護士としての使命を自覚し、心を落ち着けるためのルーティンだ。
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