第一部 再会

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第一部 再会

              【一】大阪  十月二十九日。  あの女――多くの人が行きかう東京駅の北自由通路のど真ん中で、和泉秀は思わず立ち止まり、振り返った。あの歩き方。後ろ姿。まさか。 「なんや、別嬪さんでもおったんか」隣を歩いていた鴨林幸太郎が、遅ればせながら立ち止まって尋ねてきた。 「女性は誰もみんな美しいからね」和泉は彼女の後ろ姿を追って歩き出す。 「何を言うてんねん――って、おいおい、どこ行くんや?」と鴨林は慌てて重量級の体型を反転させ、和泉を追ってきた。 「どうしたんや、誰がおったんや?」 「沢口マリ」もう五年も経つが、すんなりとその名を言うことができる。「僕が人生で唯一、捕まえられなかった女性さ」 「逃げられたことは何べんもあるやろ?」 「逃げられたってことは、一度は捕まえたってことだからね。沢口マリは、捕まえることすらできなかった。だから、逃げられたんじゃないよ」  はぁ、と鴨林がため息をつき「屁理屈やなあ」と言った。 「で、惚れた女を思い出したんか。お前、仕事中やぞ」 「捕まえられなかった相手を追うのは、刑事の使命でしょ?」 「ん?」と鴨林の目が刑事のそれに変わった。一瞬の切り替えはさすがベテラン刑事。その鴨林は七係では最年長の巡査部長。夏帆が鑑識から引き抜いてきた刑事で、七係メンバーで唯一結婚しており、子どもも二人いる。和泉とだって、親子に近いほどの歳の差があり、本来なら先輩後輩の関係なのだが、七係は敬語不要の方針が夏帆によって出されているため、こうして遠慮なく会話ができる。  その鴨林は安物のスーツにネクタイ着用のフォーマルなスタイルだが、片や和泉はグレーのニットに白シャツ、ジーンズというデート用のコーデで、一見すると刑事には見えない。恋多き和泉にとって、いつどこで素敵な女性に巡り合えるか解らないからこそ、常にファッションには気を使っているのだった。鴨林のように刑事はフォーマルなコーデが多いから、コンビを組む相手によってはこうして、異質な取り合わせになってしまうのだったが。 「プライベートで惚れた相手と違うんか?」鴨林の問いに、「違うよ」和泉は言って立ち止まる。沢口マリらしい女性は、八重洲北口の指定席券売機の列に並んだ。  横顔はやはり、記憶と違う気がする。記憶が薄れたか――? いや、女性の顔は一度見たら忘れない。男は忘れるけど。あの、張り詰めた緊張感を纏う、ピンと伸びた背筋と怒り肩、ちょっと内股の歩き方。顔はもしかしたら、整形したのかもしれない。  和泉と鴨林は充分に距離を取り、彼女を見つめる。 「僕は夏帆たんから七係に誘われる前、三課で盗犯専従だったのは知ってるだろ? そのときに捕まえ損ねた、電車専門スリ(ハコ師)だよ」 『夏帆たん』とは殺人犯捜査七係係長代理の、西岡夏帆のことだ。縦社会の警察で、上司をニックネームで呼ぶなんて通常では考えられないが、夏帆に言わせれば《検挙率と因果関係のない無駄な風習はいらない》とのことで、自ら七係のメンバーに、そう呼ばせているのだった。なんでも、高校時代の友人につけてもらったニックネームで、気に入っているらしい。好きなものは好き。いいものはいい。悪いものは悪い。そういうはっきりした考え方が、行動にも表せるのが夏帆の魅力だった。 「なるほどな。因縁の相手との再会ってことかいな。ほな、ちょっと待っとき。わしが見てきたるわ」  鴨林は眼鏡をくいっと上げて、体格に似合わぬ静かな動きで沢口マリの二人後ろに並んだ。券売機を操作する手元をさり気なく覗き込みながら、スマートフォンを耳に当てた。  和泉のスマホに着信が入る。鴨林だ。「どう?」と尋ねると、鴨林は《今日はよろしくな! ほんで、どこで待ってたらええんや? そうか、新大阪な。二人で行くさかい。よろしく頼むで!》と一人でしゃべり、電話を切った。  新大阪か。和泉はナビアプリを開く。今から新大阪まで、最速で十一時半くらいには着く。その車内で、一仕事するつもりか――?
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