第二部 窮地

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「疑問って?」 「毒殺のメリットは、犯人がその場に居らんでも、相手を殺せるということです。しかし、和泉巡査部長はその場にいた。刑事ともあろう者が、毒殺のメリットを全く活かさない犯行をするとは思えませんから」  言われる間でもなく、そうなのだ。「だったら、なぜ逮捕したんですか?」七瀬が尋ねる。 「警察は物証主義やからです。凶器になるものを持ってたら、まあ逮捕せざるを得んと言うか――でも私は、彼の供述の中に出てきた沢口マリっていう女が怪しいん(ちゃ)うかと思ってます。和泉巡査部長は、彼女の行方は知らないんですよね。何か手掛かりがあればええんですけどね」  三宅は頭をガシガシとかいた。和泉も同じことを言っていた。沢口マリ。彼女がこの事件のカギを握っていることは間違いなさそうだ。 「大阪府警は、彼女の行方は追わないんですか?」 「念のため、私の部下に追わせてます」  三宅は言い、声をひそめる。「もちろん、加藤管理官には内緒なんですが。捜査本部としては、和泉巡査部長が確実に起訴されるだけの物証を揃えて、送検したいっていうんが方針なんで」  私の独断ですと三宅は言い、微笑んだ。どことなく頼りなげな男ではあるが、加藤と衝突したあとだけに、和泉を擁護する立場の人間が警察側にいることは頼もしく思えた。 「では、捜査本部は、和泉刑事が犯人であるという確固たる証拠を持っているわけじゃないってことですね?」 「まあ、ぶっちゃけて言えば。せやから、平坂さん。何か手掛かりがあったら、私にも教えてください」  三宅は言い、彼の名刺の裏に携帯電話の番号を書いて寄越した。「それじゃ、私はこれで」そうして三宅は踵を返し、捜査本部へと戻って行った。  まだチャンスはある。七瀬は歩き出す。大阪府警は和泉を被疑者として証拠を探しているようだが、彼は無実なら証拠は出て来ない。ないものを探しているのなら、見つからずに四十八時間が過ぎるかもしれない。いや、楽観はできないか。まさか証拠を捏造するなんてことはないと思うが――  天王寺北署を出ると、通りの向かい側に立っていた正木芽衣と目が合った。芽衣はぺこりと頭を下げて、小さく手招きをする。七瀬は近くの横断歩道を渡り、芽衣と合流する。 「お疲れさまです」芽衣が再び、ぺこりと頭を下げた。七瀬も反射的に頭を下げ、「何か手掛かりはありました?」と尋ねた。  芽衣はニコッと笑い、「ここだと、府警の捜査員に見られてますね」と言う。ぐるりと周囲を見回すが、それらしい人影はない。「五階の、右端の窓です」芽衣に言われたとおり、警察署を見上げてみると、こちらを見下ろす加藤管理官の姿が見えた。彼は七瀬と目が合うと、スッと身を引いて姿を消した。 「監視ですか」 「警察にとって、弁護士は天敵ですから」  芽衣はニコニコ笑顔を絶やさない。「でも、七瀬さんは味方でいてくれますよね?」  この笑顔で言われると頷くしかない。そう言えば、夏帆はこの正木芽衣のことを取調べが上手いと言っていたが、何となく解る気がする。監視に気付く洞察力、それから優し気な笑顔の奥にある得体の知れない圧力。夏帆とはまた違う意味で、意志の強さを感じさせる刑事だった。
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