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【六】妨害
――痛ぇ――
葛木はゆっくり立ち上がり、砂ぼこりを払う。頬はまだジンジン痛むし、口の中は鉄の味がする。切れたのは口の中か、舌か、唇か。行儀が良くないのは承知の上で、溝にペッと血の混じった唾を吐く。歯は折れてなさそうだ。
まったく、いきなり乱暴な奴だな。
大阪府警本部周辺のコンビニの防犯カメラを調べ回っていたら、いきなり強面の男にビルとビルの隙間へと引っ張り込まれた。
己、警視庁のデカやろ。ワシらの畑で何しとるんじゃ。そう言って凄んだ男は、大阪府警捜査三課の刑事で千田と名乗った。先ほど、芽衣からのグループラインで被害者、竹井遼子が三課の刑事だということは聞いていたから、葛木は被害者の同僚の方ですかと尋ねのだったが、その回答が右のフックパンチだった。不意打ちをまともに喰らって地面に転がった葛木を見下ろして、千田は、ワシらの仲間の仇はワシらでとる、警視庁のデカにウロウロされたら目障りなんじゃ、と吐き捨てて立ち去ったのだった。
警察官は特に縄張り意識が強い。自分たちの街で起きた事件は、絶対に手放したくないし、横取りされたくない。そして体育会系の組織でもあるから、上下関係には厳しいが、内側の仲間意識は強固なのだ。自分たちの仲間が殺人事件の被害者となったのだから、その犯人を敵視するのは解るが、いくら何でも行動が短絡的過ぎる。
葛木は殴られた方の頬を押さえながら、ビルの隙間から抜け出した。こういうときの太陽はやけに眩しく感じる。
スーツのポケットでスマホが震え、慌てて取り出すと夏帆からの着信だった。
《そっちはどう? 成果は?》
「成果はないけど、妨害の一撃を喰らったよ」
葛木が報告すると、夏帆の返答は《油断大敵! 不意打ち喰らうなんてダサすぎ!》だった。まあ、心配する言葉が返ってくるとは思ってなかったけどさ。
「逮捕されたのが和泉だし、俺ら警視庁の刑事は完全に敵認定だな」
葛木が言う。いいじゃない上等よかかってきなさい! とか、敵を誤認するなんて大阪府警の眼は節穴ね、とか、夏帆から売り言葉に買い言葉が返ってくると思っていたが、しかしやや間があって返ってきたのは、《おかしいわね》の一言だった。
《その千田って刑事は、仇をとるって言ったのよね。おかしくない?》
「何かおかしいか?」
《鈍感ね! だって、和泉はもう逮捕されてるんだから、仇はとってるじゃない? でも、そいつの口ぶりだと、まだ犯人が逮捕されてないみたいじゃない》
「まあ、確かに――でもこれって、ニュアンスの問題じゃないか?」
《そもそもあんたは、和泉の逮捕を妨害してるわけじゃないでしょ。一応形としては、物証が出てきたから被疑者を逮捕したって形になってるんだから、あんたたちが裏でこそこそ動くのは目障りだとしても、府警の捜査を妨害してるわけじゃないし。しかも出張ってきたのは一課じゃなくて三課の刑事なんでしょ?》
「自分たちの仲間だから、余計俺が目障りだったとか?」
《それにしても、なんか妙ね――》
夏帆が言い、そしてズズズ――ッという音が聞こえた。大好物のところてんでも食べているのだろう。夏帆は毎日欠かさず食べるほど、ところてんが好きなのだ。漢字で書くと『心太』と書くのも好きな理由の一つらしい。
「で、俺はどうしたらいい?」葛木が尋ねる。「コンビニの防犯カメラは成果なし。竹井遼子の足取りは解らずだけど――」
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