第一部 再会

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「それは単純なことで、鉄道警察隊は各都道府県警のハコ師のリストを共有していて、顔は大まか頭に入ってるらしい。で、彼女は当時、山手線を通勤に使用していたんだけど、その中で鉄警の刑事がスリの重点警戒で乗っていて、彼女を見つけて、マークしてたらしいね」 「見当たり捜査か。でも結局、逮捕できんかったってことは、現行犯で押さえられんかったってことやな?」 「そうだね。僕も囮になったりしたけど、ダメだったね。最終的には、職質して事情聴取して、指紋と現住所なんか個人情報を押さえて、警戒継続って扱いになった。その事情聴取を担当したのが僕だったのさ」  私、もうやりませんよ、そんなこと。沢口マリは、はっきりとそう言った。そして、それ以外のことはほとんど何も話さなかった。意志の強い女性だと感じた。刑事と容疑者として出逢っていなければ、もっと違う関係になっていたかもしれない。魅力的に見えた一方、相当のスリの技術を持っていることも解った。聴取は鉄道警察隊の詰所で一回、自宅を訪問して二回行ったのだが、自宅訪問の際に和泉は警察手帳を掏って見せられたのだ。実に鮮やかな手口だった。  マジシャンになれば、別の人生があったかもね。和泉がそう言うと、彼女はちょっとはにかんだ。あの表情が、素に近いんじゃないかと今でも思う。  あれから、指定席に座るマリに動きはない。車内販売が通りかかったときに飲みものを注文した程度で、席を立つ素振りもなかった。和泉と鴨林は、車内販売で買ったウーロン茶を片手に、マリを見つめ続ける。  不意に、「息子はどうしてるんやろな」と鴨林が言った。 「さあね。もう八歳くらいになってると思うけど。今日は学校だろうから、子どもが帰ってくるまでに東京に戻るつもりなんじゃないかな」 「もう、リモート登校じゃないんやろうか。働きに出てたら、子ども一人家に置いて、心配やったやろな」 「彼女自身が、親からネグレクトまがいの育てられ方をしたからね。五年前は、息子を一人でよく育ててたと思うよ」  自宅を訪問したとき、息子――名前は確か、大地だったか――は、部屋の片隅でミニカーを並べてあそんでいた。大人たちの話に興味がないふりをしながら、実はしっかり耳をそばだてていたのだと思う。三歳ながら、母親が何か疑いの目を向けられていることに不快感があったのだろう、ときおり和泉をにらみつけるような視線を寄越した。マリに似て、意志の強そうな瞳だった。 《新大阪――新大阪――》  アナウンスが流れる。マリは六号車の前の扉から、新大阪のプラットホームに降り立つ。電車から降りるときというのは、尾行に気付かれやすいタイミングでもある。鴨林は六号車の後ろの扉から降りたが、和泉は名古屋を出たところで九号車まで移動して、離れた車両から降車した。  新大阪駅の新幹線コンコースは四階にある。マリは迷うことなく三階へ降りる。鴨林が彼女から二十メートルほど離れて歩き、和泉は鴨林を目印に更にその五十メートルほど後ろを歩く。三階フロアは在来線ホームへと降りるエスカレーターが点在しており、初めて新大阪で下車した和泉はどこへ向かっているのか見当もつかない。マリも鴨林も大阪出身者らしく、迷う様子もなく三階フロアの端の階段を下り、二階の改札口を通り抜けた。通路の案内表示には『地下鉄御堂筋線』とある。マリは、電子マネーをかざして地下鉄御堂筋線の改札を抜けた。どこか目的地があり、まっすぐそこに向かっている感じだ。
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