第三部 逆襲

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 葛木は柵を支えに立ち上がる。気の逸れた鴨林が加藤に突き飛ばされ、地面を転がる。芽衣は一瞬の逡巡ののち、取り押さえていた三宅の身体を解放する。 「平坂さんを放せ!」  葛木が言った。「手に持っているナイフを置くんだ!」 「警察学校の教練か!」と千田が笑う。武器を捨てろとか、人質を放せとか、ドラマみたいな曖昧な言い方ではなく、犯人に対しては具体的な言葉で通告するのだと、警察学校では習うのだった。教科書どおりの葛木の物言いを千田は嘲ったのだが、葛木にしてみれば、少しでも彼の気をこちらに向けられればそれでよかった。犯人の気を、人質から逸らすことで、危害のリスクを低減させるためだった。  三宅からの反撃を警戒した芽衣が、葛木の傍まで避難してくる。三宅は追撃をやめ、一目散に逃げだし、コスモスクエア駅への階段を駆け上がっていった。今逃げきれきれば、まだ勝算があると思っているのか。その後ろ姿を眺めながら、「悪あがきしやがって」と千田は舌打ちをする。  腰を打ったらしく悶絶している鴨林を放置して、加藤が千田の元へと駆け寄る。「どうするんや、これから!」加藤が怒鳴ると、「知るか!」と千田は返す。 「元はと言えば己のミスやろうが! 何とかせえ――!」  千田が怒鳴ったそのとき、階段の上から三宅の身体が降ってきた。さすがに驚いた千田の手元が緩む。葛木はその瞬間を見逃さず、「平坂さん、伏せて!」と叫び、千田のナイフを持つ右手に飛びついた。七瀬は千田に突き飛ばされ、近くの植え込みに頭から突っ込んだ。 「放さんかい、コラァッ!」  葛木を振り払おうと、千田が力任せに右腕を振るう。葛木は必死に喰らいつく。くっ――すごい力だ――  次の瞬間。「アッ――ツ――ッ」千田が大声を上げ、左手を振るった。右手の力が緩み、葛木はナイフを奪って距離を取り、そのナイフを植え込みの中へと投げ捨てる。  千田の背後には火のついた煙草を持った、片山仁志が立っている。片山は煙草を咥えると、千田の腹に正面から蹴りを放った。左手を押さえていた千田が、今度は腹を押さえ、自然と前かがみになる。片山は容赦なく、その顔面に追撃の膝蹴りを見舞う。もんどり打って、千田は地面に転がった。その千田の脛を踏みつけた片山は実に容赦がない。  逃げようとする加藤の前に立ちはだかったのは、芽衣の笑顔だった。加藤は身体を捻って芽衣を避けようとするが、芽衣はスッと身体を寄せると、腕を取ってぐるんと一回転させた。見事な合気道の回転投げだった。加藤は何が起きたのか解らないという表情で、気付けば夜空を仰いで呆然としていた。  階段から降ってきた――というか、片山に突き落とされて伸びていた三宅に、腰をさすりながら立ち上がった鴨林が手錠をかける。  植え込みから抜け出し、尻もちをついていた七瀬に、葛木は手を差し出す。七瀬は植え込みで切ったらしい額の切り傷を左手で押さえながら立ち上がり、ジャケットのポケットからハンカチを取り出した。 「悪あがきはお終いですよ」  葛木が三人に向かって言うが、そんな刑事の一言が心に届くような相手なら、そもそも悪事に手を染めたり、悪あがきをしたりはしない。三宅、千田、加藤はそれぞれ黙んまりを決め込み、真っ黒な大阪湾の水面を見つめていた。  遠くから、時間に合わせて葛木が要請しておいた大阪府警のパトカーのサイレンが近づいてくる。  さて、これから府警の事情聴取を受けることになるだろう。まともな刑事が担当だといいけど。  でも、その前に。  夏帆はどうして、遠く東京にいながら、事件の真相に気が付いたのか聞いておかないと。
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