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菱隈に教室に戻ってほしい。これが先生の本望だった。しかし、彼の意欲は凄まじいもので、何度も冷たい視線を送っているというのに、まるでたじろぎもしない。常に笑顔を絶やさず、という感じだ。
黒板前に置かれたチョークの残りを確認し、明日の授業に足りなくなるであろう、白のチョークを補充する。それを置きながら振り返ると、菱隈はニコニコしたまま席に着き、先生を待っている。
教卓を挟み、菱隈を前にしながら先生は思考を巡らせていた。
彼は今、県内トップの難関高校を志望している。しかし、現在の彼の成績では到底難しいという判断が、彼の担任との話であった。彼は学年二位の成績である。しかし、学年一位との差は圧倒的である。もし、菱隈が難関高校に安心して受験することができるようになるには、学年一位との差を大きく縮めなくてはならない。
雑談をしている場合ではない。そのことはわかっていても、先生は彼の行動を止める素振りは見せない。事前に、彼には忠告を伝えたはずだから。
ワークを手に持っていながらも、菱隈は手をつけようともしない。それが結論、というわけか。先生は内心で呟き、両腕を組んだ。
「……先生、僕は覚悟ができていますよ。そんな顔をして……さては先生、僕を疑ってます?」
悪戯らしい笑みを浮かべ、菱隈は教卓に肘を着いた。
先生は一瞬菱隈に視線を移した後、すぐに教卓の、黒い板に映る光沢を見つめた。
「話してくださいよ、先生。先生の友達の勉強方法等を含めてね」
菱隈は両手を教卓の上に置き、目を瞑った。
先生の胸元のロケットが光る。
教卓を俯き加減で見つめていた先生の視線は、次第に理科室の窓辺に移っていた。
蒼穹の下で、逞しい翼を広げた鳶が旋回する。夢現の状態に陥ったのだろうか。先生は瞬間的にそう思った。
ガヤガヤとした、けたたましい音が、声が、蘇る——。
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