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大雅の言うとおり、美容複合施設のちょうど真向いにカフェがあった。テラス席もあるし、通りで立ったままカップを傾けている若者も多い。この辺りで張っていれば、彼女が出てくるところを確認できるだろう。
彼女があのビル内の、どの店に向かったかはわからない。だがどこへ行ったとしても、一時間以上は出てこないと思われた。
店の脇に裏口と思われる細い通路があったので、そこで張ることになった。
大雅は龍輝にここで待つように言い、店の中へ入っていく。何かと思えば、店から出てきた彼の両手には、なんとコーヒーカップがあった。
「ほら」
「え!? あ、すみません。ありがとうございます」
大雅からコーヒーを受け取り、龍輝は頭を下げる。
「ところで」
声をかけられ、龍輝が大雅に向き直る。すると、大雅は少し呆れたように吐息した。
「俺、まだお前から名乗られてないんやけど」
「あ!」
うっかりしていた。大雅はきちんと身分を明かしたというのに、龍輝はまだ自分の名前さえ名乗っていなかったのだ。
龍輝が慌てて手帳を見せ、口を開こうとしたその時だった。その口を大雅の手で思い切り押さえつけられる。
「うぐっ」
「ストップ。落ち着け。小声でそぉっとな」
「……」
今は張り込み中だ。つい条件反射で、大きな声を出すところだった。それに大雅が気付き、咄嗟に止めたのだ。
迂闊にもほどがあると反省した龍輝は、ボソッとした小さな声で、所属と名前を言った。
「大変失礼いたしました。私は四谷警察署新宿交番巡査、沖田龍輝です」
「龍輝か。ええ名前やな」
「……ありがとうございます」
「俺は大雅で虎、お前は龍輝で龍、二人合わせたらめっちゃ強そうや」
「はぁ……」
まさかこういう反応が返ってくるとは思わなかった。
キャリアといえば、警察官のエリートだ。頭脳明晰、冷静沈着、どこか冷たい雰囲気で、龍輝たちのようなノンキャリアの人間など歯牙にもかけず、なんなら見下しているとさえ思っていた。現に、これまで龍輝が見たり会ったりしたキャリアたちは、そういうタイプが多かったのだ。
だが、目の前にいる彼はどうだろう。まるで同僚のように親しげに話しかけてくるし、これほど整った顔だというのに気取ったところが少しもない。くるくるとよく変わる表情も、どこか子どもっぽさを感じさせた。彼も、龍輝とはタイプが異なるが、人に警戒心を抱かせない人種だ。
「龍輝、お前、彼女はどれくらいで出てくると思う?」
「え?」
最初の質問がこれか。
どうして彼女をつけていたのか。そのことを話す準備をしていた龍輝は、しばし呆気に取られる。だが、これ以上大雅に振り回されてなるものかと、すぐに姿勢を正して答えた。
「二時間くらいでしょうか」
「なんで?」
「彼女をつけていて思ったんですが、彼女はしきりに髪を気にしていました。時々鬱陶しそうにかきあげたりしていたので、髪を切りにヘアサロンに行ったのではないかと思います」
「なるほど」
大雅が興味深げにクイと口角を上げる。なんとなく試されているような気がして、龍輝は背中の辺りがむず痒くなるのを感じた。
「なら、確かに二時間ほどは出てこんやろな」
「はい」
「それじゃ、コーヒーでも飲みながら、ゆっくり話聞こか」
カップに口をつけ、大雅が上目遣いで龍輝を見上げる。楽しそうではあるが、目は「逃がさない」と言っていた。
なるほど、だからコーヒーを買ってきたのか。大雅も、この張り込みがそれなりに長い時間になると予想していたのだ。
ここまできて誤魔化すつもりはないし、下手に嘘をついて誤魔化せる相手ではない。
龍輝はコーヒーを一口すすり、彼女をつけていた理由を話し始めた。
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