美しい日々‐3‐

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美しい日々‐3‐

 その後の組手では宣言どおり、アルテミシアの動きは、いつにもまして容赦のないものだった。  その攻撃を受ける緊張感に、レヴィアは物思いをしている暇もない。  そして、いつの間にか、胸のざらつきは消えていたのだが。    その日以来、あの胸の奥をかき回される不快感には、しばしば悩まされるようになった。アルテミシアが仲間たちと楽しそうにしている姿を見ていると、雨上がりの重い霧のような感情が、湧き上がってきてしまう。 (どうしてだろう。仲間同士仲良くするのは、いいことなのに……。なんで、どうして……) 「見えてきたぞ!」  鮮やかに鳴らされたアルテミシアの指笛に、堂々巡りをしていたレヴィアの顔が上がった。    河原にふわりと降り立ったスィーニは、ふたりが(くら)から降りるのが待ちきれない様子で、川へと急ぐ。  よほど喉が渇いていたのか、水流に差し入れられた(くちばし)はしばらく動かない。  そんなスィーニを眺めていたアルテミシアは、イタズラそうにキラリと目を光らせると、その隣に立膝をついて、両手で水をすくった。  パシャリ!  アルテミシアの手の中の水が、スィーニの横顔に命中する。 「クるるっ!」  首を上げたスィーニが、口の中の水をアルテミシアに放った。 「ぶふっ?!」 「グるる」  軽い唸り声を上げて、スィーニは再び川に(くちばし)を突っ込む。 「スィーニ?!ミーシャ、どこ行くの?ダメだったら」  慌てるレヴィアにも構わず、アルテミシアは水音を立てて、川中へと逃げ出していく。 「ほら、スィーニ!これならどうだっ」  軍服のまま清流に手を突っ込んで、ばしゃばしゃと水をかけるアルテミシアに、スィーニも口に含んだ水を雨のように浴びせかけた。 「……きれいだな……」  レヴィアのつぶやきは、はしゃぐアルテミシアの声に紛れて、消えていく。  陽を反射した水滴がアルテミシアに降りかかり、深紅の巻き髪は朝露を乗せた薔薇のようだ。  レヴィアの胸が、なぜかズキリと痛む。 「レヴィ!スィーニは凄いぞ!」  瞬きもしないレヴィアの前で、アルテミシアは指笛を短く二回鳴らして、『同じ行為を繰り返せ』の合図を送った。  川に(くちばし)を差し込んだスィーニの腹が、見る間に丸く膨れていく。 「噴け!」  ロシュが炎を噴くときと同じ号令にスィーニは首を上げ、思い切り水を噴き出してみせた。  その勢いは、水で作られた砲弾さながらである。 「さすが水の神だ。揮発息は噴かないが、こんな特技があったとはな」  濡れた髪を頬に貼りつけたアルテミシアが、スィーニの(くちばし)を両手で挟んで、額を寄せた。 「もう、ミーシャは。そんなに濡れて」 「今日は暖かいから、何も問題はない。濡れたのは脱いで、旅装束(たびしょうぞく)を着て帰るよ。レヴィもおいで!」  アルテミシアがレヴィアに腕を差し出すと、スィーニも美しい首をそらして、水の中に誘う仕草をする。 「だって、僕は着替えとか、持ってないよ?」 「軍服を脱いでおけばいいじゃないか」 「えぇ~……」  レヴィアはためらうが、アルテミシアの手招きはやまない。  しぶしぶ下着姿になって、恐る恐る川に足を入れた、その瞬間。  アルテミシアとスィーニが、同時にレヴィアに水攻撃を食らわせた。 「っ!」  驚いて尻もちをついたレヴィアはむっとした顔でふたり、正確にはひとりと一頭を見上げる。 「もー。……ほらっ!」  勢いよく立ち上がると、レヴィアはむきになって、アルテミシアとスィーニに水を浴びせかけた。    ふたりとスィーニの楽しげな声が、平原に響き渡っている。 「レヴィ、こっち!隠れるぞ!」  岩陰に隠れるたふたりの頭上から、得意気な竜の鳴き声が聞こえてきた。 「えっ?」 「いつの間に!」  ふたりの頭上から、滝のような水が落ちてくる。 「スィーニは飛ぶからなぁ!逃げよう!……わぁっ」 「ミーシャっ」  足を滑らせたアルテミシアの手をレヴィアがつかむが、結局、ふたりそろって川に倒れ込んでしまった。 「レヴィっ!」  かばわれ、沈むのを免れたアルテミシアが体を起こす。 「レヴィごめん!大丈夫か?」  急いでレヴィアの首を引き上げたアルテミシアが、その頬をペチペチと叩いた。 「レヴィ、レヴィ!」 「だ、大丈夫、だよ?」 「本当に?」 「くーぅる」    顔を上げると、スィーニが申し訳なさそうな顔をしてのぞき込んでいる。 「……ふ、ふふ。あはは!」  アルテミシアとスィーニを見比べたレヴィアは、笑いが止まらなくなった。 「ふふっ、あははっ!すごいね、僕たち、びしょ濡れだ!」  深紅の髪の美しい人と、藍色の羽根の美しい竜が、自分に寄り添ってくれている。  冷たい水の中に座り込んでいるのに、レヴィアの心は火が(とも)るように温かい。 「水遊び、初めてだけど楽しい。ホントに、楽しい」 「それならよかった。今度はロシュとも遊ぼう。でないと、あの仔はすねると長いからな」  レヴィアの頬に手を添えながら、アルテミシアは心からほっとした笑顔を浮かべた。
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