106人が本棚に入れています
本棚に追加
美しい日々‐4‐
アルテミシアは「大丈夫」と軽く請け負ったが、旅装束一枚でスィーニに乗るのは、やはり無茶なようだった。
「空は寒いって、よぅくわかった。うわっ、風が入ってくる!レヴィ、ぎゅってして!」
素肌に旅装束をはおっただけのアルテミシアから密着されて、その柔らかな感触にレヴィアの心拍数が上がる。
「レヴィも寒いだろ?もっとくっついて」
胸にすり寄ってくるアルテミシアは確かに温かいが、あまりに胸が騒いで、手綱を離してしまいそうだ。
「どうした?レヴィ」
アルテミシアがレヴィアの胸に耳を寄せる。
「心臓がドコドコいってる。なにか怖いのか?」
「こ、わくは、ないよ。でも、えと、ミーシャ」
「ん?」
「ちょっと、離れて」
「なんで?」
「なんでって……」
さらに心拍数の上がったレヴィアは、もう、そのまま口を閉じるしかない。
ただ、アルテミシアをスィーニから落とさないようにすることだけを考えて、手綱を握りしめ続けた。
◇
スィーニを竜舎に帰したあとで、アルテミシアとレヴィアは、足音を忍ばせて離宮の様子をうかがう。
「ジーグは水遊びにはうるさいからな、ぐぇ?!」
「わぁっ!」
襟首をつかまれたふたりが振り返ると、背後にそびえ立つのは、眉間に深いしわを刻んだジーグだ。
「どうしてこんなに濡れ鼠なんですか、あなた方は。……こちらに」
そうしてジーグは、ふたりを引きずるようにして、離宮の廊下をのしのしと歩いていった。
誰の邪魔も入らないクローヴァの部屋の前庭で、神妙な顔をするアルテミシアとレヴィアの前にいるのは、仁王立ちしたジーグである。
「スィーニがすごいんだ!今度、ジーグにも見せてやる」
「そうですか。それでリズィエ、水遊びは楽しかったですか?」
「もちろん!……あ」
瞳をふいとそらせたアルテミシアに、ジーグがため息をついた。
「……湯を用意させていますから、体を温めてきてください。レヴィアは賓客室の湯殿を使わせてもらえ。申し訳ございません、クローヴァ殿下」
「構わないよ。楽しかった?レヴィア」
「……はい」
うなずく弟を見るクローヴァの笑顔は、とても優しい。
「そう。今度は僕も誘ってくれる?水遊びなど、久しくしてないからね」
「はい。あ、でも。……スィーニは強い、ですよ?」
真剣に自分の身を案じている様子のレヴィアに、クローヴァは吹き出して笑った。
「いくら暖かいとはいえ、もう冬の声を聞く季節に水遊びとは」
「リズィエはともかく、王子たるレヴィアに何かあったら、どうするおつもりですか」
湯あみを終えて、頬をバラ色に上気させているアルテミシアは、クローヴァの部屋でジーグの長い説教を聞かされていた。
「リズィエ!」
「聞いてる聞いてる」
「聞いていると、理解しているは違いますよ」
傍から見てもいい加減な態度のアルテミシアに、ジーグの眉間のしわは深まるばかりだ。
寛ぐクローヴァの隣で薬茶を淹れながら、レヴィアはハラハラしながら、主従のやり取りを見守っている。
「フリーダ卿とリズィエは、いつもあんな感じなの?」
クローヴァから耳打ちされたレヴィアは、戸惑い顔をして、アルテミシアとジーグを見比べた。
「えっと、ミーシャは、いつもはもっと、しっかりしてます。ちゃんと、かっこいいです」
自分の言い訳をするような弟にくすりと笑いながら、クローヴァは薬茶を味わう。
「いつもは、か。……ふたりと一緒にいるときは、楽しかったんだね。それはよかった」
「……兄さま」
切なそうな紺碧の瞳に返す言葉もなく、レヴィアはただこくんとうなずいた。
最初のコメントを投稿しよう!