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窮鼠‐1‐
トーラ王国、首都トゥクースには、貴族屋敷が多く集まる高台地区がある。
その趣ある建物が並ぶ、落ち着いた街並みのなかで一邸。
これでもかと当代流行りを取り入れた派手な屋敷が、異彩を放っていた。
その敷地内の庭園に建てられた東屋から、城下通りを眺めていた男が、激昂して立ち上がる。
「話が違うぞ、カーフ!」
間近で控える、鉛色の目をした男が静かに頭を下げた。
「外道共は役に立たないではないかっ。仕方がない、少し早いが、我が部隊を出せ!まず『混じり者王子』と『死にかけ王子』を殺せ。口実は何とでもなるだろう」
「かしこまりました」
ねっとりとした声で返事をしたカーフが、音も無く姿を消していく。
「馬車にいたのが混じり者だとっ?!ヴァーリと老いぼれ外道は、どこに行ったんだ」
「ここにいるぞ」
「え……、な、ぜっ?!」
「なんだ、バリエス・アッスグレン。お前が私を呼んだのだろう。何をそう驚く」
向けられる冷然とした青磁色の瞳に、振り返ったバリエスの体は、縫い留められてしまったかのように動かない。
(なぜ、ここに王がいるのだ!)
黄褐色の瞳が、うろうろと揺れた。
(屋敷の門番と警備兵には、今日は猫の子一匹、屋敷に入れないよう厳しく命じてあったはずだっ)
「誰かっ!」
バリエスの怒鳴り声が辺りに響き渡るが、それに応える人影はない。
「アッスグレンの家兵たちなら、先ほど王宮へ招いておいたぞ」
バリエスのそば近くで、トーラ王ヴァーリが片頬だけで笑った。
「あまりに優秀なのでな。私の顔を見て、いきなり偽王呼ばわりをして、剣を抜いてきた。愚かなほど勇敢だ。……主によく似ているではないか」
アッスグレンがぎくしゃくと屋敷のほうへ目を向けると、庭園の植え込みのそこここで、黒い軍服姿が見え隠れしている。
その襟元には、王立軍章が燦然と輝いていた。
王の姿を認め、意図的に姿を見せたのだろう。
(いつから潜んでいたんだ?どこから聞かれて……)
バリエスの背中に嫌な汗が流れた。
「お前は家臣から呼び捨てにされているのか。大した王がいたものだ」
ヴァーリの背後から、威厳ある声が聞こえてくる。
常緑樹の生垣の影から姿を現したのは、アガラム伝統の長衣を揺らし歩く、筋骨隆々とした老大人だ。
「嫌味をおっしゃるのはやめてください。こんな者は家臣でもなんでもありません。ただの逆賊です。捕えろ!」
ヴァーリの指示に、東屋脇の植え込みが揺れる。
ビクリと首を回したバリエスの目の前に、黒の襟巻で顔を隠した軍服姿の男がふたり、影のように現れた。
(こ、こんな、近くにも?!)
バリエスの膝が震える。
「牢につないでおけ。バリエス、お前も王宮へ招待しようではないか」
「くそっ」
逃げようと身を翻したバリエスだが、それは無駄なあがきに終わった。
屈強な兵士に羽交い締めにされたバリエスが、憎々しげにヴァーリをにらみ上げる。
「腰抜け王っ!売国奴!貴族の権利を庶民に解放しようなどっ、下賤の王め!」
「怒涛の罵詈雑言だな」
老大人の顏に苦笑いが浮かんだ。
「さすがに、お前が気の毒になってくるぞ」
「貴方に気の毒がっていただけるのなら、罵倒くらい、いくらでも受けましょう」
軽口を叩きながら、バリエスに注がれるヴァーリのまなざしは冷たい。
「しかし、金で異国兵を雇い、使い捨てにする者に言われたくはないな」
「何だと!では、あの混じり者王子の部隊は何だ!外道部隊じゃないか!……ぐふぅっ!」
素早く一歩踏み出たヴァーリの拳が、上品な顔面にめり込んだ。
「レヴィアに流れるテムランの血は尊い。外道部隊だと?ディアムド帝国の騎竜隊を率いるほどの血筋に、お前が勝てるとでも?」
「帝国?……騎竜隊?!」
口と鼻から血を垂らしながら、バリエス・アッスグレンが絶句する。
「そいつを牢に連れて行くのは待て。……見ろ、バリエス」
縛られ、膝を折らされたバリエス・アッスグレンの目が見開かれ、唇がわなわなと震えた。
「な……、な……」
城下では、驚異の戦闘が繰り広げられている。
「外道部隊、か。それほど見下す相手ならば、お前が戦ってみてはどうだ」
ヴァーリの問いかけも上の空に、バリエスはガタガタと震え出した。
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