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動き出す心‐愚連隊1‐
離宮兵舎の休憩室では、恐慌状態のヴァイノがウロウロと歩き回っている。
「ふ、ふくちょが、女、だったっ!」
「落ち着け、ヴァイノ。深呼吸しろ」
リズワンの指示も、罠にかかった獣のようになっているヴァイノの耳には、入らないようだ。
「女だった!」
「うるさいっ」
「目ざわりっ!」
「いってっ!」
とうとうアスタとメイリの拳が銀髪に飛び、頭を押さえて床にしゃがみこんだヴァイノは、叱られた子犬のような悲鳴を上げる。
あらかじめジーグから指示をされた場所に潜んでいた愚連隊は、王子たちを称賛する言葉を、絶妙な頃合いで叫んだ。
「よくやった!想定以上の働きだ」
市民たちが熱狂する声を背に、ジーグが愚連隊一人ひとりの頭をなでていく。
だが、いつもなら飛び上がるほど嬉しいジーグの賛辞も、市民たちの喧騒も。
耳を素通りさせたヴァイノは、漆黒の体に赤い稲妻模様の竜に乗る騎士を、見つめるばかりだ。
長い紅色の巻き髪を風に任せて、凛と背筋を伸ばして笑っている、そのひとを。
いつもの稽古が、どれほど手加減されたものであったか。
それがよくわかった。心底わかった。
本気で挑まれたのならば、自分など瞬殺だ。
なんて人にケンカを吹っ掛けてしまったのか。本当に身の程知らずだったのだ。
トレキバの夜明けを思い出して、ヴァイノの背が震える。
「女の、人……。あんな強いのに」
「ぜんっぜん気がつかなかった……」
「お疲れ!よい働きだったな!」
トーレとスヴァンも呆然とするなか、レヴィアをともなったアルテミシアが姿を現した。
「ふっ、ふくちょっ!」
ヴァイノの声が裏返る。
「なんだ、その声。そんなに驚かせたか?」
鳩が豆鉄砲を食らったようなヴァイノを見て、アルテミシアが吹き出した。
「今まで、騙すような真似をして悪かったな。隊が形になるまで、どうしても竜と、竜騎士たる私を表に出せなかったんだ。改めて、アルテミシア・テムランだ。よろしくな」
「アルテ、ミシア、様?」
「アルテミシ、ア様」
「あーてみ?みーしや様?」
スヴァンとトーレは詰まりながらも正しく発音するが、ヴァイノだけが、トーラ訛りで苦労している。
「無理するな、副長で構わないぞ。……ふふ。会ったばかりのころの、レヴィアみたいだ」
アルテミシアがヴァイノに向ける笑顔が目に入った瞬間に、レヴィアの黒い瞳から温度と表情が失われていく。
「ヴァイノ、アスタ、明日から正式にフリーダ隊員だ。あとで隊服も届くから、大きさが合うか確認してくれ」
「ほんとっ!?やっったぁ!」
ヴァイノが小躍りしながら近づき、アルテミシアの右手を強く握りながら振り回した。
「オレ、すっげぇがんばる!」
「ああ、期待している。でも、ヴァイノの騎馬術は今ひとつだな。精進しろ」
アルテミシアが空いている左手で、ヴァイノの肩を勢いよく小突く。
「はいっ!」
ヴァイノは威勢のよい敬礼を返した。
「ラシオン、必要な補充備品があれば申請を。これからも遠慮なくと、陛下からのご伝言だ」
「りょーかい」
ラシオンもアルテミシアに敬礼をする。
「では、改めてよろしく。レヴィ、竜舎に行こうか」
「……うん」
休憩室に顔を出してから今まで。
レヴィアが声を出したのは、これが最初で最後だった。
すべて上手くいったはずなのに。
目も合わなかったレヴィアの背中を、ヴァイノは不思議そうに見送った。
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