『魔法使いの猫と千年の家』~にゃんすけのごはんと真幸の恋~

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 僕が拾われて三日月動物病院の三日月さんに検査してもらったとき、「生後四週齢くらいの大きさですかね」と言われた。  でも続けて、「体が育つのは遅いから、あんまり他と一緒に考えちゃダメだよ」とも説明された。  真幸はその言葉を聞いて、眉間に皺を作りながら、何かを飲み込む顔をして、「わかりました」と返事をしていた。真一郎さんの時と同じ顔だ。  真幸はこのとき、大人たちにからかわれていると思っていた。  三月下旬に拾われて、今は五月の長期休暇中になった。そういうことで、僕がここに来て、すでに一カ月と少したったんだ。  だけど僕の体はあんまり大きくなっていない。  先日、ウキウキでやってきた三日月さんがいうには、「生後六~七週齢くらいの大きさ」だそうだ。  僕が病院に行ってから、三日月さんはちょこちょこ僕に会うために家にやってくる。三日月さんと真一郎さんは幼馴染なのだ。だから留さんとも仲良しで、小さい頃は庭で暴れまわって、真一郎さんを道ずれにして留さんに怒られたこともあるらしい。  初めて病院に行って一カ月くらいたった頃、病院に連れて来られた僕に、三日月さんはそれはそれは楽しそうに注射を打った。  僕はあまりに怖くて、動けなくなってじっとしてしまった。そしてそのまま三日月さんに注射をされてしまったのだ。  看護婦さんが「大人しい猫ちゃんですね」と言ったあと、僕の大きく丸くなった目を見て、三日月さんは噴き出して笑った。 「怖いのに固まっちゃうなんて、にゃんすけは食物連鎖の最下位だね」  そう言ってさらに大笑いする。  ひどい。  さすがの真幸もここまでたつと、「この猫、普通の猫じゃない」と思い始めたみたいだ。  ただ真一郎さんも留さんも、『魔法使いの猫』はこういうものとして対応しているから、真幸も大きく「変だ」と言えなかったみたいだ。  現在、真幸も他のみんなと同じに、『にゃんすけ』は猫の形をしているけれど、猫ではない『にゃんすけ』という生き物と認識して対応してくれている。自分の中にある常識が壊れないように、「個体の個性」あるいは「別生物」と自分に説明し、認識させたらしい。  僕は生後六週齢くらいの大きさにしては元気すぎるらしくて、小さいながらも飛び跳ねるようにして家中を散策している。だから二階にある真幸の部屋から出て、一階をうろついたりしているんだ。  階段の端が僕専用のように、段の浅い階段になっているから出来ることなんだけどね。  ちなみに、僕の名前『にゃんすけ』の名付け親は三日月さんだ。  最初に診察してもらったときに、三日月さんは真幸に名前を確認せず、診断カルテに『篠崎にゃんすけ』と記入した。 「いやぁ、にゃんすけに会えるとは思わなかったよ」  そう言いながら楽しそうに空欄になっている名前の欄に『篠崎にゃんすけ』と書いていた。  後で聞くとこの家の『魔法使いの猫』の名前が『にゃんすけ』らしい。だから『篠崎家』の『にゃんすけ』ということで『篠崎にゃんすけ』になった  僕はそんなに名前に執着していないし、なんか昔そんな名前だったような気もするから『にゃんすけ』でも構わなかった。  だけど真幸は周りが色々なことを勝手に決めていく度に言葉を飲み込むような顔をしていた。  存在するはずのない『魔法使いの猫』を、周りの大人たちが当たり前の存在としてすべてを進めていくんだ。  まわりすべてがまったく同じ形をした、まったく別の生き物になったようにも思えたに違いない。  大人が自分をからかっていると思った方が安心できる。  だけど真一郎さんと三日月さんが自分をからかうためにやっているにしては、あまりに大仰すぎると思ってもいる。  だからもうどうしたら良いのかわからなくなっちゃっていたみたいだった。 「大丈夫?」  僕はちょっと心配になって真幸に声をかけてみた。  真幸は僕を見て、そこに僕がいることをようやく思い出したようだ。一瞬、ものすごく僕をじっとみて、そして何か決めたような顔をして、すごく真面目な顔で僕に告げた。 「大丈夫だ。今日、注射はないから」  ………そんなこと言ってないよ。  僕は思わずため息をついたのだった。  初めて会った時から、僕と真幸の間には意思疎通というものが存在していない。  だけど真幸は良いやつだ。それは絶対だと僕の本能が言っている。そばにいると心のどこかがポカポカするし。  最近、ようやくそれがどうしてなのかわかってきた。  僕と真幸は同じ夢を見る。  この家に住んでいる夢だ。それはとても懐かしい気持ちにさせる。まるで暑い夏に飲んだサイダーのような香りと味のする夢だった。または寒い冬に食べる肉まんみたいな感じかな。  そんな出会ってから今まであったことを思い出していると、後ろで真幸が真一郎さんに尋ねた。 「夢ってなんで目が覚めると忘れてしまうんでしょうね」  真幸は味噌汁のお代わりを注いでいる。三杯目だ。細い体の一体どこに入るんだろう。 「そういう忘れてしまう成分が脳内で発生するって話を聞いたことがあるよ。まあ、まだ確定しているわけでなくて、調査中らしいけどね。それとは逆に、記憶は香りで固定されることもあるから、どこかの国で、香りで記憶媒体を作るっていう研究もしている。もし、見ている夢を覚えておきたいというなら、夢と香りをつなげてみたら夢を固定できるかもしれないね」 「香りで記憶を固定化するか……。どこかの小説で似たような話があったような気が……」 「たぶんマドレーヌじゃないかな。プルーストの」  二人はずいぶん難しい話をしているなぁと思いながら、僕はごはんを食べ終えて、水をごくごくと飲んで、ひと心地がついた。  二人の話の発端は、たぶん今日の真幸の夢の話だ。だから僕は真幸に教えてあげた。 「僕はマドレーヌも好きだけど、今日は三人でハムサンドを食べたんだよ」  僕もあまり覚えていない夢だけど、ハムサンドの味だけは覚えている。  あれはとても美味しかった。夢の中だけど、真幸も一緒に食べたんだから教えてあげたら思い出すに違いない。  そう思って教えてあげたんだ。  真幸が具沢山の味噌汁を食べながら僕を見下ろした。僕はハムサンドを口いっぱいに入れていた夢を思い出して、思わず嬉しくて笑って感想を言った。 「すごく美味しかったよ。あの手作りマヨネーズはすっぱすぎず、僕は一品だと思うんだ」  なのに真幸はまったく違う返答をした。僕の空になったごはん茶碗を見ていた。 「お代わりが欲しいのか? 留さん呼ぶか?」  僕の笑顔は途中で固まった。  この家で過ごした間、十分に経験してきたことじゃないか。そう思いながらも、思わずため息をついた。 (……真幸は僕の言葉がわからない。哀しいくらいに)  ふと真一郎さんが視界に入ったから、ちらりと見ると、口元を隠して小さく震えていた。  笑っている。  真一郎さんは少しなら僕の言葉がわかるみたいなんだ。だけど真幸に通訳する気は無いらしい。そのかわりに真幸の言葉には、僕の代わりに返事をしてくれた。 「留さんが分量把握しているから大丈夫だよ」  まぁ、僕が言ったこととはまったく違うことなんだけど。  僕は真幸に夢のことを教えてあげることをあきらめた。窓の向こうにある庭を眺めながら、夢のかけらを追うことにした。  たぶん、真幸と話をするより、こちらの方が有意義に違いない。  食堂、兼リビングの庭に面した側は一面窓になっていて、窓から出るとウッドデッキになっている。床の高さが同じだから天気の良い日は小さい僕でもやろうと思えば日向ぼっこが可能だ。まだやったことはないけどね。ウッドデッキの向こうに家庭菜園や花壇があって、もっと向こうには森があるんだ。  夢の中では森と家との間に大きな温室がある。その温室はこの家と繋がっている。それは真一郎さんの部屋のさらに奥にある外へ出ることができる扉の向こうにあって、渡り廊下でつながっているんだ。  僕はまだ体が小さすぎて、ここが夢と同じように温室につながっているかまで確認できていない。だって外へ続くはずの扉はいつも閉まっていて、今まで開いているところを見たことは一度もないんだ。だからその扉の先を確認したことはなかった。  ただ、どこもかしこもこの家と夢の家はとてもよく似ている。だからきっとあの扉の向こうには温室があるに違いない。  僕がぼんやりと窓の外を見ていると、留さんが食堂を覗いて真幸に声をかけた。 「真幸さん、今日は学校じゃないんですか?」  留さんが時計をちらりと見た。 「祝日だけど、用事があるとおっしゃってましたよね」 「やばい。そろそろ出かけないと。夕方には戻ります」  食べ終えたお茶碗をお盆の上でまとめて少しスペースを作ると、僕のごはん茶碗をそこに置いて一緒に片づけてくれる。一緒のときの約束事だ。  真一郎さんは食後のコーヒーを飲みながら、「いってらっしゃい」と声をかけていた。  僕も「いってらっしゃい」と声をかける。  まあ、真幸に伝わっているかは不明だけどね。
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