『魔法使いの猫と千年の家』~にゃんすけのごはんと真幸の恋~

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 食堂に置いてあるソファでうたた寝していたら、良い匂いに起こされた。甘いケーキの匂いだ。  僕は眠気を覚ますため、思い切り伸びをした。ほっそりとした前足でソファのひじ掛けを押す。体の準備ができたからソファから飛び降りた。  食堂と廊下の境目には大きなガラスでできた横開きの扉がある。ほぼ開けっ放しなんだけど、光の加減なのか、僕の姿がそこに映った。  そこには大人の猫姿になった僕がいた。  僕はそれを不思議に思っていない。だってそれはここの僕の姿だから。  ただ夢の中の大人の僕の意識もあれば、ちっちゃい僕の意識もあって、小さな僕は思いっきり驚いていた。  体は大人の僕のものだから、大人の僕はいつもの自分を見ているわけで、何とも思っていないんだけど。  僕は甘い匂いと人の気配を追うようにして、食堂から出て台所へ向かう。台所の入り口で行儀よく座り、中にいる人に声をかけた。 「工藤、今日のお菓子はなに?」  僕はちょっと変わった猫語で話しかけた。中にいる人は僕に気が付いて返事をしてくれる。 「この間、甘夏をたくさん貰っただろう。だからちょっと変わったマーマレードを作って、それを使ったパウンドケーキを焼いてみたんだ」  工藤は猫語を完璧に理解している。魔法使いならできることなんだけど、普通の人間にはできない。でも魔法使いではないけど、工藤にはできるんだ。  今まで認識していなかったけど、夢の家で暮らしているのは、僕と真幸と、この工藤だ。工藤の作るごはんやお菓子はとても美味しくて、幸せな気分になってくる。  真幸が渡り廊下につながっている扉から家に入ってきた。甘い匂いにつられたのか、小走りでやってきて、僕と同じように台所を覗き込んだ。 「やっぱり実験室から出てきて良かった。ちょうど良い時間だった」  嬉しそうに笑っている。こっちの真幸も僕と同じように大きくなっている。体の大きさは少し大きくなったくらいだけど、雰囲気が落ち着いていて、少し真一郎さんに似ていた。  つまり、大人になったということだ。  多分、人でいうところの三十歳を少し超えたくらいだと思っている。 「二人とも、匂いにつられてくるとは、さすがだね」 「飼い主に似るって?」  真幸がそんなことをいうから、僕は付け足した。 「どっちが主かは、今は置いておいた方が良いと思うけどね」  真幸の足が僕のお尻を軽く押すように蹴る。僕も負けじと長いしっぽで真幸の足をはたいておいた。  そんな僕たちを工藤は笑いながら、お茶のセットが乗っているお盆を真幸に渡す。 「それじゃ、このパウンドケーキを食堂へ運んで。三人でお茶にしよう」 ――――――――――――――――――――――――――――――――  僕の顔に明るい陽射しが当たった。部屋の中は薄暗いけど、最後に出窓に置いているふわふわバスタオルの上で寝てしまったせいで、朝日に起こされたらしい。  どうして僕はここで寝てしまったんだろう。  真幸の布団の足元だったら遮光カーテンのおかげで薄暗いから、陽射しに起こされることもなく、工藤が作った甘夏ジャムのケーキが食べられたのに。  向こうの僕は大人になっているから、美味しいものは何でも食べられる。または食べても怒られないし、食べさせてもらえる。  『魔法使いの猫』は猫ごはんも食べるけど、人のごはんも食べられるし、きちんと味もわかるんだ。  しかも、工藤は僕好みのごはんを作ってくれる。留さんのごはんも美味しいけど、工藤のごはんは更に輪をかけてすんごく美味しいんだ。  だったら、こっちでも工藤に作ってもらえばいいじゃないかと思うだろうけど、悲しいことに工藤がいない。  僕の行動範囲がこの家の中だけだから、家の外へ探しに出かけたら、もしかしたらいるのかもしれないけれど、今の僕の体ではこの家の中がせいぜいなんだ。  それに家を出て探しにいけたとしても、夢の中では工藤の顔がはっきりとわからないから見つけるのは難しいかもしれない。  何度か夢の中に工藤は出てきて、僕にごはんを作ってくれている。  けれど、どうしてかわからないけれど、工藤ときちんと顔を合わせたことがないんだ。夢の中で顔を見ていても、起きたらぼんやりとしか思い出せない。  でもこちらで工藤のごはんやお菓子を食べることが出来たら、絶対に工藤が作ったごはんだとわかるはずだ。夢の中ではごはんだけでなくお菓子もたくさん食べている。毎日、ほぼ決まった時間に、ごはんとお菓子を食べているんだ。  だから工藤の情報を集めれば、絶対に工藤を探し出せるはずだ。  夢の中ではあんなに仲良しなんだから、きっと運命的に出会えるに違いない。だから僕は絶対に工藤を見つけて、また仲良しになるんだ。  そう。僕の好みの美味しいごはんの為に。  僕が硬い決意に燃え始めた頃、真幸がもぞもぞと動きだした。僕が起こす前に動き出すなんて珍しい。そう思って真幸の近くまで移動した。  真幸の腕がティッシュの箱に伸びる。 「甘夏ケーキ…………美味い……」  そう呟いてティッショを一枚とると、よだれをふいた。 (甘夏っ?)  僕は思わず固まってしまった。  だって僕の食べられなかった甘夏ケーキを、真幸は食べているんだ。つまりはあの後やっぱりしっかりお茶の時間を過ごして、何切れかわからないけど、甘夏ケーキを食べたということなんだ。  真幸はいつも留さんが作ってくれたケーキを三切れくらいは確実に食べる。だから夢でもきっとそのくらいは食べているはずだ。 「ひどい。僕の甘夏ケーキが……」  食べ物の恨み、晴らさないでおくものかっ。  僕の肉球が真幸の鼻を押しつぶした。
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