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「なんか今日のにゃんすけは機嫌が悪いねぇ」
真一郎さんがちらりと僕を見て言った。僕もちらりと真一郎さんを見上げる。
「食べ物の恨みは深いんだよ」
きちんと理由を端的に教えてあげたけど、夢の中のことを知らない真一郎さんには意味がわからないに違いない。
今日は真幸がダイガクに行っていて、家にはいない。用事が終わったらすぐに帰ってくると言っていたけど、帰宅時間は言っていかなかった。
夕飯は留さんが作って置いてくれているから、真幸の好きな時間に食べられるようになっている。
お昼ごはんは自分で作るか、買うか、学食っていうところで食べるようになっているみたい。家が近いと、すっごく便利だって言っていた。
僕は家から出ないから、僕のごはんは留さんが作ってくれているんだけどね。まぁ、僕の場合は三食っていうわけでなくて、少しずつ分けて好きなときに食べているような感じなんだけど。
僕は少しお昼ごはんを食べて、食堂でしばらく遊んだ後、ソファのひじ掛けの上で香箱座りをしながら庭をじっと見ていた。
家庭菜園の中で留さんが植物の世話をしている。そのうち真っ赤なトマトができるらしい。ちっちゃいトマトもたくさんできると言っていた。
その向こうには自然な感じの草花が植えられている。それも留さんが世話をしていた。
「ここは人が手をかけなくても、お野菜も草花もきちんと育つからとっても楽ですよ」
台所仕事をしながら、留さんは楽しそうに言っていた。
そう言われれば、藤の蔓は勝手に藤棚に絡みついて、しかも棚の大きさより大きくならない。薔薇の蔓もアーチにするすると絡みついて、変な場所に行こうとはしていなかった。
薔薇は病気にかかりやすいと言うけれど、何もしなくても元気に蔦を伸ばしている。トマトやイモの蔓も同じだ。
図書室にいる図鑑とかを見たけど、普通はもっと勝手に伸びていくし、病気にもなるらしい。
つまるところ、この庭はかなりへんてこな庭なんだ。
変な庭だと知ってから、僕はじっくりと庭を観察するようになった。もしかしたら庭の植物たちを牛耳っている何者かが出てくるかもしれないからね。
この家の平和を守るのはこの家の管理猫である『魔法使いの猫』の僕の仕事になるはずだから、今から観察して把握しておくべき事柄に違いないんだ。
そうやってじ~っと庭を観察していたら、真幸の声がした。真幸が帰ってきたらしい。
(なんか、良い匂いがする)
真幸はいつも、ほとんど空がオレンジ色になった後、または真っ黒になってから帰ってくる。けれど今の空は水色で、所々に白い雲が浮いている。
とても珍しいことに、明るいうちの帰宅だった。
(とっても美味しそうな良い匂いがする)
不思議に思って振り返ると、真幸は僕の近くまでやってきてソファに座った。
「にゃんすけ、今日はお土産があるぞ」
真幸はそう言って、カバンの中から何かを取り出した。
(良い匂いがするっ!)
ビニール袋の中には、数枚のペーパーナプキンに包まれた何かが入っている。匂いはそこからしているようだった。僕はピンッと耳を真幸に向けた。
「人参クッキーだ」
真幸はペーパーナプキンからクッキーを二枚だけ小皿の上に置いて、その皿を自分の足元に置いた。
僕はふんふんとクッキーの匂いを嗅ぐ。
夢の中の僕の記憶に、工藤が作ったクッキーを食べた記憶がある。僕自身の記憶ではないんだけど、それと似た甘い匂いだ。これは夢の中のものよりもずっと小さかったけど、今の僕の体にはちょうど良い大きさかもしれない。
「にゃんすけにはまだ早いかな」
そう言って、真幸はお皿のクッキーをさらに小さく砕く。
「ミルクもいるか」
立ち上がると、台所にある猫用ミルクを用意してきてくれた。
十分に匂いを確認した後、僕はクッキーを口に入れた。
甘さはない。たぶん猫用クッキーで、手作りのものだ。夢の中のクッキーみたいに甘くはないけれど、とっても美味しかった。
二枚なんかじゃ足りない。もっと食べたい。
僕はまだ匂いがする、真幸が持っているビニールを奪うために、真幸に飛びついた。
「にゃんすけ!?」
いつもはそんなことをしないせいか、真幸が驚いた声を上げた。でも無視して真幸の体をよじ登る。ビニール近くまでいって、ふんふんと匂いを嗅いでみた。
(工藤の匂いがする)
美味しすぎて全部食べてしまったから再確認できなかったけど、クッキーからは夢の工藤が作るものと同じ匂いがした。正確には工藤が作るお菓子とかごはんとかと同じ匂いだ。
僕の本能をたぎらせる、ハイジャンプしちゃうような美味しい匂いだ。
もっと食べたくてビニールに手をかけると、真幸が慌てて僕の手の届かないように、立ち上がって頭上に掲げた。
「それで終わりだよ」
真幸の顔が少し怒っている。驚いているのも入っている。
「お前はまだ小さいんだから、たくさん食べたらダメだ」
そういってビニールの口を縛る。それでも諦めきれない僕は、真幸の足元をぐるぐると回って催促してみる。無駄だとわかっていても、やってみたら貰えるかもしれない。
そんな僕を不思議そうに見ていた真一郎さんが、真幸に声をかけてきた。
「珍しいね。にゃんすけがそんなに欲しがるなんて。またたびとか入れている?」
「普通の猫用クッキーって言っていたんですけど。豆乳と小麦粉と人参とオイルって。野菜嫌いの子だと煮干しとか入れるけど、それは入っていないって言ってました。だからまたたびは入っていないはずなんですけど……」
「食べて良い?」
「良いですよ」
真一郎さんにビニールの口をほどいて、差し出した。
真一郎さんが一枚つまんで口にする。真幸も同じように一枚つまんで食べた。
「うん、甘くないし、動物用のクッキーだね」
「ですよね」
二人でうなずいて、僕を見る。
(僕のクッキーが、減っていくようぅぅぅ)
僕はそう訴えながら、真幸の足元をぐるぐる回った。
「二人ともどうしたんですか?」
庭から帰ってきた留さんが食堂に入ってきた。外で手も洗ってきたらしい。真幸を見上げながら、足元をぐるぐる回る僕を見て、留さんは驚いた声をあげた。
「あら、珍しい。にゃんすけがそんなに欲しがっているなんて」
「ただの猫クッキーなんだけど」
「私も頂いてよろしいですか?」
真幸は快くクッキーを留さんに差し出した。
(あぁぁぁぁぁぁぁっ。………まぁ、留さんだか良いんだけどっ。別に良いんだけどっ。僕のクッキーが減っていくぅぅぅぅぅ)
「上手にできていますねぇ。とても美味しゅうございますよ」
留さんが美味しそうに笑った。だけど真幸はちょっと困ったように笑う。
「あ~、俺が作ったわけじゃないんだ」
「あら、でしたらどなたが?」
「同じ部にいるヤツに作って貰った。最近、にゃんすけが不機嫌そうだったから、ご機嫌取れたいいなと思って。そんな話を少し前にしていたから、作って持ってきてくれたんだ」
「あらあら、良いお友達ですね」
真幸が少し嬉しそうに笑いながら言う。そんな真幸を見ながら、留さんと真一郎さんは更に楽しそうに笑った。
ただ二人の笑みは微妙に違っている。
どちらも楽しそうなんだけど、真一郎さんはどこか「面白そう」にしていると言う方があっているような気がする。
真一郎さんが見ている先は僕じゃなく真幸だから、「まぁいいか」と思うことにした。
だってそんなことより、もっと大変な事実が僕に突き付けられたからだ。
それは、みんなが食べた結果、僕のクッキーはすべて三人に食べられてしまったという、この世の終わりかと思うような現実だった。
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