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僕の人参クッキーは昨日のあの時間で儚く消えた。
僕が食べることが出来た枚数は二枚。残りは全部真幸たちの口に入ってしまった。僕の為に作ったと言っていたのに。
だけど僕はそこで諦めるような柔な性格ではないんだ。だって真幸は「同じ部にいるヤツに作って貰った」って言っていた。だとしたらそいつはきっと「工藤」に違いない。
工藤が現実にいることは確認できた。
だから、無くなっちゃったというのなら、工藤にまた作って貰えたらいいんだよ。
夢の中みたいに仲良くなったら、「一度に食べるのは二枚まで」なんてケチにことは言わず、夢の中みたいにお腹一杯に食べることだってできるに違いない。
あ、でも留さんのごはんも美味しいので、工藤のお菓子とかはテレビでいうところの「別腹」っていうところに入れるつもりだ。
別腹が僕の体のどこにいるのかは不明だけど、ごはんが入るところとは違うところに入るらしいから大丈夫だと思う。真幸に言うと「どちらも同じお腹だよっ」って怒られそうだから絶対に言わないけどね。
そう決めた僕は「工藤に会うための計画」を練ることにした。
真幸が行く場所に一緒にいけば、必ず工藤に会えるはずだ。
そう考えて、僕は朝ごはんを早く食べた後、まだ朝ごはんを食べている真幸の足元にあるカバンの中に入った。
真幸のカバンは結構大きいから、僕が入っても真幸は気が付かないに違いない。そしてそのまま工藤のところまで僕を運んでくれれば工藤に会える。僕ってなんて頭が良い。
そう思ったのに、真幸はごはんを食べながらも、僕がカバンに入るのを見ていたらしい。
「にゃんすけ、入っちゃダメだ」
お箸を置いて、カバンの中から僕を片手で出してしまう。そして近くのソファに僕を乗せると、またごはんを再開する。
一度ダメだと言われたからと言って諦めたら、そこですべてが終わってしまう。終わってしまうということは、僕の口に工藤の美味しいお菓子やごはんが入らなくなってしまうということだ。
僕は再トライする。美味しいごはんのために。
そうっと真幸にバレない様に、食事のテーブルの下に潜って、真幸の近くまで行って、そうっとカバンに潜り込んだ。真幸はごはんを食べている。これで工藤のところまで行けるはずだ。
カバンの中で丸くなっていると、うとうとしてしまった。
ふっと何かが浮くような感覚がした後、真幸の驚いた声がした。
「うわっ、またにゃんすけが入っている」
真幸はさっきと同じように、僕を片手で抱え上げると、さっきと同じソファの上に僕を置く。このままだと工藤に会うことが出来ない。
「出さないで連れて行ってよ。工藤に会いたいんだよ」
僕は真幸に懇願した。
だってすぐそこにあのクッキーがあるはずなのに、無常にも目の前でクッキーへの扉が閉まろうとしているんだ。
「ダメダメ。にゃんすけは連れていけないよ」
「僕も行く。真幸だけクッキー食べるんだろう。そんなのずるいよ」
甘夏ケーキも食べて、人参クッキーもだなんて、食べすぎだよ。僕にも分けてくれなきゃ、絶対ダメだ。
僕は頑張って真幸の足元をぐるぐると回った。
「にゃんすけも大学に行きたいのか?」
「ダイガクってクッキーが食べられるところ? クッキーを作ってくれる人がいるところでしょう? だったら行きたいよ」
工藤もそのダイガクってところにいるに違いない。
「今日はすごく鳴いているね」
真幸の斜め向かい側のテーブルの席でごはんを食べていた真一郎さんが笑いながら言う。僕からは真一郎さんの顔は見えないけれど、声の調子で笑っていることくらいわかる。
「俺と居たいってわけじゃないと思うんですけど。だったら外というか、大学について行きたいのかなと思ったりしたんですけど、さすがに子猫を学校には連れていけないですからね」
「まぁ、生徒は喜ぶ子もいるかもしれないけど、授業の邪魔だね」
「でもなんで急にカバンに入りたがりますかね」
不思議そうに真幸が僕を見る。真一郎さんはそんな真幸を見ているんだと思う。
つぶやくようにぼそりと言った。
「……昨日のクッキーじゃない?」
「え?」
「クッキー、食べたいんじゃない?」
真幸の視線が真一郎さんに向いたけど、すぐに僕に戻る。
僕も真幸の視線の強さに負けじと、真幸と視線を合わせた。
普通の猫は視線が合うのを嫌うけど、僕はそこらの猫じゃないから、ガッツリと真幸の視線に合わせてあげた。ここで怯んではクッキーにたどり着かない。
それなのに真幸は笑って真一郎さんに視線を戻した。
「にゃんすけですよ。だって猫でしょう? 最低クッキーは覚えていたとしても、俺の外出先とクッキーを関連付けるだけの知能ってありますかね」
真幸は困ったように笑うが、真一郎さんはいつもと同じに穏やかに笑っている。
「外国の研究機関の研究によれば、犬より猫の方が長く記憶していたというよ。ランプがついた箱にごはんが入っているということを記憶させて時間を図るっていうもので、犬が五分記憶していたところ、猫は十六時間も記憶していたらしい」
僕は真一郎さんが見えるように、背もたれの上に上がった。真一郎さんはとても楽しそうに、いたずらっ子のような顔で目をキラキラさせていた。
「それににゃんすけは『魔法使いの猫』だからね」
真幸は少し怒った顔をして、僕を見た。怒った顔が、悩むような顔に変わっていく。
「結構たつのに、この小ささは………確かに猫の着ぐるみを着た他の生物かもしれない」
僕を見て、真幸がそんなことを呟いている。
どこからどう見たって『猫』だよ。失礼な飼い主だなぁ。わかっていたけどさ。
洗濯室に行こうと廊下を歩いていた留さんが、真幸に気が付いて声をかけてきた。
「真幸さん、お時間は大丈夫ですか?」
「えっ、あっ」
真幸は食堂の柱にかけてある時計に目をやると、急に慌てだした。カバンを肩にかけて、空になった茶碗を乗せたお盆を手に取る。台所へ行きかけた足が止まって、思い出したように僕の空になったごはん茶碗を拾い上げた。それをお盆に乗せて、台所へ行くために食堂を出ようとした。
僕は慌てて真幸に僕も連れていけと催促した。さすがに足元をぐるぐるは避けて、少し離れてにゃーにゃーと鳴いて訴えたんだ。
「学校は勉強するために行くところだから、にゃんすけはダメだ」
はっきりきっぱりと、真幸に断られてしまった。
最初は『ダイガク』って言っていた。工藤がいるのは『ダイガク』の方に違いない。だって『クッキー』があるんだから。だから学校はダメかもしれないけど、『ダイガク』なら僕が行ってもいいんじゃないのかな。
でも今日は、真幸がものすごく慌てていて、僕が反論をするより前に出ていっちゃったから、真幸のカバンに潜れなかったし、真幸に『ダイガク』に連れて行ってもらう約束を取り付けることもできなかった。
真幸がいなくなってしまったから、代わりに真一郎さんを相手にする。
「『学校』が勉強するところだって知っているよ。だから『学校』は行っても良いって許可がないと行っちゃダメだから、僕は行けない。でも『ダイガク』は『学校』じゃないから行っても良いよね」
僕は夢の中の僕の知識も駆使して、真一郎さんに確認した。
満面の笑顔で言う僕に、真一郎さんはちょっと困った笑顔を向けた。
「にゃんすけ。大変残念なことなんだけど、『大学』も『学校』の一種だから、ちょっとダメかな」
一瞬、僕は真一郎さんが言ったことを理解できなかった。
理解したくなかったからだ。
だって理解したら、工藤のごはんが食べられないかもしれない。
「……………」
僕は数秒、真一郎さんの顔をじぃっと見てしまった。見ている形だけを取ってしまった。
そしてようやく言葉の内容の確認をした。
「『大学』も『学校』?」
真一郎さんがうなずく。
「……僕が入っちゃダメなところ?」
真一郎さんが困ったように笑う。
「絶対に入っちゃダメなところ?」
泣きそうになった僕に、妥協点とばかりに真一郎さんが言った。
「大きくなったときに、建物の外を散歩するくらいは大丈夫だよ。でも大きくなったとしても、この家から出てしまうと危険なことばかりだ。だから外に出るときには十分に気をつけるようにね。人間も危険な者がたくさんいるから、基本的には近寄っちゃいけないよ」
言葉が増えるごとに、真一郎さんの顔は困ったような、泣きそうな顔になっていく。本当に妥協点で言っているらしい。
僕はなんだか真一郎さんがかわいそうになって、よくわからないけれど頷いておいた。
そもそも真幸がほぼ毎日出かけている場所はこの家の隣だ。庭の偵察するときに、一緒に偵察してみれば良い。
そして少しずつ範囲を広げていって工藤を見つけるんだ。
きっと、工藤に会えたらクッキーだけじゃなくて、夢で食べられなかった甘夏ケーキも食べられるに違いない。
僕は不屈の猫なんだ。
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