『魔法使いの猫と千年の家』~にゃんすけのごはんと真幸の恋~

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 (香ばしい匂いがする)  そう思ったと同時にここはいつもの夢の中だと、僕は判断した。  ものすごくお腹が空く匂いに、温室に続く扉をくぐろうとしていた脚を止めて、くるりと後ろを振り返った。 (これはソースが焦げる匂いだ)  そういえば、昨日、工藤がお好み焼きが食べたいと言っていた。きっとそれに違いない。  採れたてのキャベツは多めで、豚肉もたくさん入れたヤツだ。僕が食べる分は、小麦粉がかなり少なくて、肉はふたりより少し多めだったりする。  今度こそ絶対に食べてやるんだと台所まで走った。 「にゃんすけ、真幸を呼びに行ってくれたんじゃなかったのかい?」  不思議そうに僕を見る工藤の顔を見て、僕はさっきまで工藤としていた会話を思い出した。  お昼になったから真幸を呼びに行こうとしていたんだった。  だけどこのまま温室に行ったら、また一口も食べることが出来ない。そんな気がする。  そう思った後、どうしてそう思うのか不思議になった。  だって毎日三人で、正確には二人と一匹で、朝昼晩、プラスおやつを食べている。わざと食べないことはあるけど、食べ損なうなんていうことがあるわけがない。  でも僕の頭の中で、「ここで食べないとまた食べれないよう」という気持ちが一杯になってくる。  変な気分だ。  でも真幸が来ないとごはんが始まらないし、工藤もまだ作っている最中だ。今すぐに食べられるわけじゃない。  僕はもう一度、温室に繋がる扉の方に戻ることにした。  温室に繋がる扉の下には、僕専用の小さな扉がある。真幸の研究の手伝いをしているから、僕が好きな時に温室に行けるようにしてあるんだ。  その小さな扉を潜って渡り廊下を進む。廊下には雨になっても濡れないように、屋根がついているし、他の場所より段差を高くするため、石が敷き詰められている。水が廊下の外へ流れるように溝も作られてあったりする。  真幸たちの胸の下になるくらいの木製の目隠しもあって、家から温室までの短い距離だけど、所々庭にも出られるように目隠しを途切れさせて庭にすぐに出られるようにしてある。そんな道が温室までずっと続いている。  僕の背の高さだと目隠しの上は見えないんだけど、目隠しの下から庭を覗くことができるんだ。  庭にはとても綺麗な色々な種類の薔薇の花が咲いていた。  昔、蔓のような薔薇は無かったんだけど、この国に空間を固定してからは、この家の外で咲いていた蔓の薔薇が庭に入ってくるようになった。まだまだ小さな花しか咲かないけど、庭が入ることを許したのだから、少しずつ変化していくのかもしれない。  温室に着いて、これまた僕専用の扉を潜った。僕は簡単に出入りできるけど、温室だからある程度の密閉度が必要なので、僕が通る場所以外はしっかり密閉されるようにしている。  温室の中は緑で一杯だ。緑だけでなく、色とりどりの花が咲き誇っている。香りもとても良い。そんな花々の間を潜って奥にある研究室に向かった。  温室の中に作られた小さな小屋の中で、真幸が機材を前にして唸っていた。小屋は一部が温室みたいに透明な壁で出来ているから、中にいる人が見えるんだ。だから真幸がうんうん唸っているのが良く見えた。 (これは休憩が必要だな)  そう思って、僕も建物の中に入った。  とても良い匂いがする。柑橘系のような爽やかさと、ほのかな甘さ。それなのに芳醇な深みや微かなとろみもある。香りを感じた瞬間は体全体を優しく包み込むようなのに、それを感じた一瞬後には跡形もなく消え去るんだ。まるでそこに在った記憶だけを残して、ものとして認知された瞬間にすべてのものが、微笑みながらどこかへと移動して消えてしまうような感覚なんだ。 (想う記憶を形にしたらこうなるのかもしれないな)  そう思った。  真幸と視線があって、僕は工藤を思い出した。 「真幸、ごはんだってさ」  真幸の眉間の皺がすぐに消えた。 「あ、今日、俺の当番の日だったのに」 「お好み焼きが食べたかったから良いって。だから二日まとめて当番よろしくって言ってたよ」  僕も同じことを工藤に言った。そして工藤が言っていたことをそのまま伝える。  一緒に暮らしていたらこういうこともある。  まぁ、僕は猫だから食べること一択で、家事は一切できないんだけどさ。 「じゃ、すぐに行くか」  真幸が先に建物から出る。僕も続いて建物から出た。  香りはすでに消えている。代わりに温室の中の花々の匂いが体を包んだ。 (ちょっと違うんだよね)  そう思ったら、一瞬くらりと体が揺れたような気がした。それと同時に「あぁ、また食べられないよう」と、僕の中でもう一匹の僕が嘆いていた。 ―――――――――――――――――――――――――――――――  ふわふわの布団の上で丸くなっている自分に気が付いた。今日は真幸の布団の足元の方で目が覚めた。夜中で眠くなってきたから真幸の部屋にやってきて、ベッドの上に飛び上がって、寝やすいベッドの端で丸くなったんだった。 「……まただよ」  また工藤のごはんを食べられなかった。  そして多分、真幸は食べている。キャベツと豚肉増量のお好み焼きを。今の僕では食べられない、食べさせてもらえない、ソース付きのお好み焼きや甘味たち。夢でなら僕もオトナだから体も大きくなっていて、いっぱいに食べられるはずなのに。  一応確認のため、真幸の顔の方に行ってみた。  真幸はぐっすりと気持ちよさそうに眠っている。その顔をちょいっと肉球で押さえつけてみた。真幸がちょっと邪魔といいたげに顔を左右に動かしたけど、すぐにどこか嬉しそうな顔に戻る。 「………ソース、いい…」  ちょっとだけ口が動いた。 (やっぱり、真幸、食べてるよ、僕のお好み焼きを)  なんか腹が立ってきて、真幸の体の上に軽くジャンプでアタックしてから床に降りた。  お好み焼きは、今日は諦めた。別にこれからだって機会はあるはずだ。  僕はカーテンの間から差し込む朝日に向かって肉球を上げて気合いを入れた。
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