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食堂の前にはテラスがある。天気の良い日、真幸や工藤は屋外用の椅子を出して、のんびりしていることもある。僕も日向ぼっこをしたり、駆けまわったりすることもある。
テラスから庭に降りるのに二段の浅い階段もつけられているから、高さは危なくない。だから庭に降りて、家や庭の状態確認に回ってみたりもする。
庭の一部は家庭菜園になっていたり、花々などが植えられていたりする。その一部が真幸の研究用に使用されていたりする。普通なら管理の為に庭に手をつけないといけないんだろうけど、真幸が手を付けているところを見たことがない。工藤も庭に関してはわからないから、あまり手を入れることはない。それでも菜園の野菜や果物たちは、綺麗に花をつけて、大きく美味しく実ってくれる。僕たちはそれらをしっかりいただいて、ごはんの一部にしているんだ。
家が管理している範囲内になっている庭や森の中は、この家が育てているものだから、変に手をつけない方がいいんだ。
手をつけると美味しい野菜や果実が、普通の味になっちゃうからね。
すっかり忘れていたけど、ものすごく昔に経験したことを思い出した。
あのときはサツマイモの実験を誰かがしていて、手をつけたヤツとつけなかったヤツで分けてみたんだ。
その結果、手をつけない方がずっと美味しかった。丹念に世話をしたはずなのにって、実験した人が落ち込んでいた。だけど、僕としては何もせずに美味しいものが食べられるんだから、それで良いんじゃないのかなぁと思ったよ。今もそう思っている。
色々思い出したけど、落ち込んでいたのが誰だったのか、やっばりよく思い出せなかった。
まぁ、僕は猫だしね。
今日は、菜園の脇を通って、花園を超えて、森までやってきた。
花園と温室は隣り合っていて、それらの向こうに森が広がっているんだ。
ちなみにこの家は森の中にぽつんと一軒だけ建っている。だから乗り物で来ないと誰もここにはたどり着くことが出来ない。
まぁ、たどり着けないのは乗り物のせいではなくて、この家が作った木々が森になってしまって、広く広く広がって、この家に正しい用事があるものでないと、この家にたどり着けないようにしてあるからなんだ。
森の外からこの家までに続く歩いたり、車にも使える道はもちろんのこと、空から降りてこようとしても、あるいは土を掘ってこの家にたどり着こうとしても、ここへは来られないようになっているんだ。
ここは昔、魔法使いが住んでいた。
彼がちょっと長く自分の研究がしたくて、誰にも邪魔が出来ないように、誰にも邪魔をされない『家』を作ったのがこの家の始まりだ。
家は魔法使いの希望通り、誰にも邪魔をされない空間を作り出した。家はまるでテリトリーを広げるように木々を育てて増やしていった。そして、邪魔をするような人たちがこの家に気が付かないくらいの大きさまで森を広げていった。万が一、気が付いたとしても、入って来られないように迷いの魔法もかけた。家が森を広げるのを止めたのは、ほとんどの人間がこの家に入ることが出来ないような広さになった頃だった。
多分、魔法使いが考えていた以上の完璧さと広さだったと思う。でもこの魔法使いはけっこうのんびり屋だったから、「まぁいいか」と全部そのまま放ってしまったんだ。
おかげで森にはたくさんの植物や動物が住んでいられるようになった。人のたくさんいるところでは消えてしまったものたちがここでは生きていて、誰にも知られずにその営みを繰り返している。
僕は軽く森を見回ったあと、また家に帰ってきた。
森の中にいるものたちはこの家の住人や住人の知り合いには手を出さない。出せないのかもしれないけど。
だから僕は日々がきちんと繰り返されているかどうかを確認するために、たまに森へ行っているんだ。
森だけでなく庭も広い。
庭の中の一部である花園も広くて、今は真幸が金木犀に凝っているせいだろう。庭は二本の金木犀の木がまるでアーチのような形を保ちながら、多数の小花を咲かせていた。金木犀は香りが強いからか、家からは遠く、でも温室には少し近いところに立っていた。アーチ状のせいで、まるで森の入り口のような見立てだ。
昨年から、真幸が金木犀で研究を始めた。だから家は温室と森の近くにあった、決してそれほど大きくはなかったはずの金木犀を一年でここまで大きく育てたようだ。
金木犀のアーチを抜けて、花園と菜園を通って家に帰りついた。テラスに上がって食堂の中に入ると、甘い匂いが漂ってくる。菜園にあるサツマイモ畑が綺麗に土だけになっていたから、たぶん収穫したのに違いない。台所の入り口にから声をかける。
「工藤、何を作っているの?」
「おかえり。焼き芋を作っているよ。オーブンでじっくり時間をかけると甘くて美味しいのができるからね」
「全部、食べていいの?」
僕は、「今度こそ」と思った。なんでそう思ったのかわからないけれど。
強い意志で尋ねたのが面白かったのか、工藤は珍しく声を出して笑っていた。
「全部は無理かな。たくさんあるから」
そういってサツマイモが入った籠を指さした。作りすぎなんじゃないかしらと思うほどの量だ。大きな籠に二つもある。
「まだまだあるから大丈夫だよ。ここに入りきらないから、芋の保管庫に残りは全部入っているから。長く芋が食べられるね」
芋の保管庫で思い出した。
毎年、長く保管するために、土付き、温度設定付きで保管庫に保管しているんだった。毎年のことなのに、食べたい気分が大きすぎてすっかり忘れてしまっていた。
「今日は焼き芋と、スイートポテトと、蒸しパンかな」
「焼き芋が出来たら少し食べてもいい?」
「珍しいね。いつも三人で一緒に食べるのが良いって待っているのに」
確かにいつもなら一人で先に食べるより三人で食べる方が好きだから、大人しくいい子にして待っている。
だけど僕の中の何かが、「いま食べないと、また食べられない」と告げていた。
どうしてそう思うのかと考えていた僕に、工藤が内緒話でもするように人差し指を一本だけ立てて唇に当てて、小さな声で提案する。
「味見は大事だよね。スイートポテトは潰さないといけないから、その前に焼き芋状態を二人で少しだけ味見しよう」
僕は満面の笑顔を工藤へ向けた。
ようやく食べられるに違いない。僕は安心して食堂のソファで座って待っていようと、食堂の方へ体をひねった。視界に温室の扉が入ってきた。温室の扉が開いて、真幸が入ってくるのが見えた。
きっと焼き芋の匂いを嗅ぎつけたに違いない。内緒話は意味がないものになったみたいだ。絶対、真幸も焼きあがった焼き芋を食べるに違いないんだ。
(きっと真幸の中には美味しいものセンサーがあるに違いない)
僕は強くそう思った。
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ちょっと暑くなってきたかな。
目を開けてすぐに思った。
夢の中では秋になっていたから、なんとなく夢から覚めたんだということがわかった。
今日は出窓の籠の中にいる。真幸が作ってくれた僕専用のベッドのようなものだ。遮光カーテンのおかげで朝日は当たっていない。だから思考はまだ半分は夢の中にいた。
「…焼き芋……」
そう。僕はまたもや口に入れられなかったんだ。決して焼き芋は料理とはいえない。なのにそれさえも食べることが出来ないとは。
そしてわかっている。
真幸はきっと食べているに違いない。
僕はそれを確認するために真幸のベッドにジャンプして移動し、真幸の顔を肉球でつつく。
「……スイートポテト、蒸しパンも美味しい……。みっつは食べたい…」
真幸が寝言をいいながら、もぐもぐと口をわずかに動かしていた。
「ひどい…」
僕は思わず呟いた。
だって料理は無理かもしれないから、せめてと思って焼き芋を食べようとしたんだ。工藤の作った料理とは決していえないものだ。僕はそれを一目見ることさえできなかった。
それなのに真幸は焼き芋どころかスイートポテトと蒸しパンまでしっかり食べている。多分、その前に焼き芋も食べているに違いないんだ。
ここまでくると、生まれる前のどこかで、僕は何かイケナイことをしたんだろうか。そんなことさえ考えてしまう。まったく記憶にないんだけど。
悔し泣きをしながら、真幸の上でジャンプを数回する。けれど僕の体はあまりに小さすぎて、真幸にダメージをまったく与えられなかった。
真幸の顔が嬉しそうな笑顔になる。
三つ目のスイートポテトが、僕の中で消えていった。
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