100万年生きた男

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彼女は超絶に美人だった。 大学の入学式から注目の的になっていたほどで、 凛とした雰囲気を抱かせるスタイルの良さはもとより、端整な顔からあどけなさを覗わせる無垢な笑みは、向けられると誰だってイチコロだった。 それは僕にとっても例外にあらず。 しかし悪魔的美貌を持つ彼女は、その性格もまた悪魔的だった。 僕はあくる日、意を決して彼女に告白をした。 「好きです!付き合ってください!!」 すると彼女はその有した悪魔的性格を臆することなく提示し、 僕に対して一瞬微笑み、次にはその表情をすぐに崩して 「お前なんかが私と付き合う!? 馬鹿じゃない!? 100万年早いわよ!!」 と言う。 その答えを好意的に受け取り、 「はい!」 と僕は、笑顔で答えたのだ。 100万年? その程度、待ってみせる。 僕は言われた条件を克服する事に決めたのだ。 100万年生きる。 しかし当然、この身体で100万年も生きるのは到底無理だ。 昨今では、人間の寿命の限界はどうやら120歳と言う研究結果が出たらしい。 もっとも、それでも十分すぎるほどの長生きで、日々生活する上で伴う様々な老いの原因がある。紫外線、病気、ウイルス、運動不足、食生活の乱れ、ストレス、etc…。 とにかく、それらすべてを排除し生活するなど到底無理な話で、もしも出来るとするならば冷凍睡眠でもしてずっと寝ている他にないだろう。そうした状況が叶うわけでもない僕は日々惰性に過ごし、大学を無事に卒業をすると就職し、まじめに仕事一貫。そのまま定年退職し、一人住まいで過ごし86歳1ヶ月と10日でその生涯を閉じた。 死因は心臓発作。不整脈に基づく発作で、不可避であったと言って妥当。病院に運ばれたたときには既に絶命していたのだから仕方がない。つまり医者の過失はない。 そして残りは99万9934年。二十歳のときに告白したので間違いない。 しかし未だ始まったばかりだ。道程は長い。 そうして次に目が覚めると、目の前には大きな緑色。 ああ、葉っぱか。そう気付いたのは生まれて随分経ってからであり、つまり僕は虫だった。何虫? 察するのに多少時間を要したのは、辺りに鏡なる便利な物がなかったからであり、親の姿がなかったからでもある。しかし次第に自分の身体を眺めていくうちに分かり、寄ってくる虫の背中に赤と黒が見えると確信した。僕は天道虫だ。僕は葉っぱを食べ、交尾をし、そして死んでいった。どのくらいの長さによる人生? 時間というのも結局は相対性であるのだと僕は虫の体となって嫌と言うほど実感し、虫の僕にとって10年の人生であったとしても、それは人間時間であったら一ヶ月間に過ぎないのかも知れない。とすれば、残りは99万9934年と335日。いや、人間であった最初に死んだときには、86年と1ヶ月と10日なのだから、正確には99万9934年と295日。虫になって一日の長さに対する感受性も変容しつつあった。先はとにかく長い。 次に生まれ時には猫だった。 よし! やったぞ! と僕は思わずガッツポーズを心の中で構え、虫に比べれば随分と寿命は長いからだ。 上手くいけば10年は生きられるだろうか? しかし物事はそう順調にはいかないのもので、僕は生まれてすぐに左目が膿み、どうやら不衛生が祟った模様。ドブ川付近に生まれてみゃ-みゃ-発する自分の声には妙に感動しながらもなす術はなく、親猫は一度、二度、僕に乳を与えた後に去りその後に姿を見せなかった。 左目はそのまま暗闇を映し、その後に光を戻すことはなかった。然し希望はどこにでもあるもので、僕は人間に拾われ、そして右目の方は何とか光を保ち続けた。 僕はその人間の家では”チョコ”と呼ばれ、オスの僕には幾分も可愛すぎる名前に思えながらも、愛されている事はすぐに実感できた。よく撫でられ、餌は不自由なく与えられ、だから僕はそれに感謝するように用を足すことに関して粗相を起こす事はなかった。 僕は愛され、餌を与えられ、時には人の食べる物も分けてもらえた(これは思いのほか頻繁に生じ、僕が強請れば家主の方々は容易に食卓のものをくれた。特に鮪の刺身と鰹のたたきが美味かったと記憶している)。 そうして3度目の人生はまあまあ順風満帆と言え、僕は結局13歳までも生き延び、その生命を全うした。大往生と言って過言でなく、皆に見守られながらの死は悪くなかった。 とすれば、残りは99万9921年。日数? 13年生きたのは憶えているけど、それプラス何日かまでは覚えていない。だったそうだろ? カレンダーを気にする猫が何処に居る? おそらくどっかには居るだろうけど、少なくとも僕の周りには居なかった。それだけのことだ。 次の人生は―― そうして僕は何度も生まれ、何度も死に、その生を全うし続けた。 10年。2ヶ月と3日。52年。21年。14日。108年。―― アフリカで像としての生活はユーモラスで楽しく、キリン同士の生の喧嘩は迫力があって思わず興奮した。 しかしその後のパンダに生まれ動物園で生涯を全うした時などは終始退屈であった。そして「パンダは笹が好物!」と提唱した学者を何度殴りたくなった事か。 何度あったかわからない人間での生は、その都度多種多様。アフリカ東部で生まれ、ちょうど1歳になったときにウイルスで死亡した時などは、身体全体に蝕む激痛に絶望し、一度目の人間時に募金するのをケチらなければ良かった、と反芻するように思ったものだ。懐かしい。 その後の何度目かの人間ではアメリカに生まれ、イギリス系白人の身分は自由を教授され青春を謳歌したが、同時に此処まで閉鎖的であるのかとアメリカに対しての認識が覆ったものだ。セックスパーティーは楽しかったが、十代で飽きた。食べ過ぎは何事も良くないのだ。アメリカでは、それを大いに学んだ。 そうして月日は流れ、流れ生き、僕は生き続けた。 ようやく、随分と長かったったのだけれど、102万と10ヶ月。僕は再び、待望の日本人に生まれ、そして待ちに待った19歳に成長。このときには既に神童ぶるのはやめて、ごく平凡、爪を隠し切って深爪となったぼんくらな僕は、再び例の大学に入学。もちろん一発合格で、しかしそんな事はどうだって良い。 僕はすぐさま彼女の事を探した。 僕だって馬鹿じゃない。 当然、彼女が未だ生きているわけもなく、死んでいることぐらい把握している。 しかし随分と長生きしたのだから、その間に培われた叡智を侮ってもらっては困るのだ。 当時の彼女は死んでいても”魂”と呼ばれるものは絶えず生き続け、存在しうるのだ。そして僕は、その魂を、見ることが出来るよう(正確には感じ取れる)ようになっていた。 もっとも、”見る”というよりかは”見分ける”と言った方が適切で、だからこの魂、会ったことがあるな? と分かるようになっていたのだ。そしてどうやら、顔見知りは想像以上に多いようで、例えばあのテラス席に座る派手な化粧をした金髪ギャル風の女の子などは、サバンナでナマケモノとして生きた際の、僕の姉で間違いない。魂の右端隅に見えるS字型の傷跡は、彼女特有のものだからだ。 けれどそれだって今はどうでも良く、僕は彼女を探した。 探した、探した、探し回った。 それは2週間後、偶然だった。 鬱蒼とそして青々と茂る芝生の上、奥を見れば青空の下でフットサルに勤しむサークルがあり、芝生の隅にはベンチがひとつ。そこに一人が座っており、美しい黒髪を靡かせていた。 その後ろ姿……いや、魂に見覚えがあった。 より正確には”聞き覚え”だった。 その魂を見た瞬間、僕のあらゆる器官は躍動した。 「お前なんかが私と付き合う!? 馬鹿じゃない!? 100万年早いわよ!!」 ビビッと電気信号、シナプスに伝わり、その声が脳内、波のように派生する感覚に見舞われ、アドレナリンを放出し、僕に興奮を与え、そして僕の耳に言葉を聞かせた。身体が、血液が、ぶくぶくと沸き立って感じた。 僕は彼女に近付こうと一歩ずつ、着実に歩み進んだ。 彼女の後ろに突っ立つと、彼女のほうも気配に気付いて振り返る。 僕を見て「あら、イケメン」と呟く。 久々に彼女の声を直に耳で聞いた。 「言われたとおり、100万年待ちましたよ」 僕は待ちに待った言葉を告げた。 彼女は「えっ?」と困惑する表情を浮かべ、「何言っているの?」と言わんばかりに目を細めて怪訝な表情を向けてくる。 しかし次にはベンチから立ち上がって僕に正面から向き合うと、 「付き合ってあげてもいいわよ、イケメン君!」 と笑顔で告げてくる。 「こっちからお断りだ、ドブス野郎!」 どうやら今回の彼女は容姿に恵まれなかったようで、僕はこう告げると、その場を後にした。
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