ショッピングモール廃墟

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ショッピングモール廃墟

 いかにも頭が悪い若者が、夏になると廃墟と化した『心霊スポット』とやらに繰り出す。  はじめに言っておくが、廃墟とはいえ、そこは誰かの所有物なわけで、勝手に入ったら不法侵入となる。れっきとした犯罪だよ。  その現場で見かけるのは、無残に割られた窓ガラス。ゴミの不法投棄。  そしてスプレーを使った落書き。意味不明の記号だったり、何かの意匠のデフォルメされた図案だったり、幾何学模様だったりするアレだ。ちなみに、これも犯罪だからね。  ・犯罪行為であること  ・その行為自体が極めて幼稚であること  ・いつの間にか行われる犯行であること  これらの条件によって、人々は『イリーガルな存在で、馬鹿で幼稚で、人目に付かない深夜に行動する者』という印象が意識下にあり、 「ありゃあ、珍走団の馬鹿どもの仕業だぁ」  などと思い込んでいる。  だが、それは『冤罪』だ。珍走団は確かに夜間に行動するが、目立ってなんぼのガキっぽい自己顕示欲の塊。人目のつかない場所に出没するのは、その行動原理に反する。  では、誰が不法侵入や、不法投棄や、器物損壊をするのか?  これはそう、俺たちの仕業。  表には出ない仕事。  裏ではこう呼ばれている。  『穢し屋』  ……ってね。  俺に依頼があったのは、取り壊しが決まったショッピングモール。  映画館やアウトレットモールや飲食街が内包された「お買いものをしながら一日遊べる」を売り物にしていた、東京ドーム二個分の広さの施設だった。  といっても、俺は東京ドームなんざ行ったことがない田舎者なんで、その広さがピンとこないが。  時刻は夕方、逢魔が刻。  活動をやめてしまったポップな色調の建物が、黒々と蹲る場所に至る道を、俺は三輪スクーターで走る。  この道は、ショッピングモールを本宮とするなら、参道に相当する道だろうか。かつては、様々な屋台が立ち並んでいたそうだ。  俺は愛機ホンダ・ジャイロXのエンジンを切った。三輪スクーターなので、スタンドを使わなくても自立するところが気に入っている。自立している奴は大好きさ。 「遅ぇよ、この野郎……」  なんだかビブラートがかかった弱々しい声がする。  立入禁止の立札の裏。そこから、ポカリと輪になった紫煙がたゆたう。 「三十分は誤差の範疇じゃなかったっけ?」  と、とぼけた俺のセリフに、舌打ちが重なった。 「時間ぴったりがいいんだよ、それが、大人でしょ! いしどー君!」  申し遅れたが、俺の名前は 石動(いするぎ)近衛(このえ)という。  美大を出たのはいいが、どこも就職先が無く、家業の『穢し屋』継いだケチな野郎でござんす。  石動を「いするぎ」と覚えられなくて俺の名前を「いしどー」とインプットエラーしてやがるこの馬鹿は、土岐(とき)一心(いっしん)。  まるで坊さんみたいな名前だが、本当に浄土真宗本願寺派の坊主だ。副業で『穢し屋』をしているそうな。今の時代、「坊主丸儲け」ってわけにはいかないらしい。  立ち入り禁止の看板の影から、一心 の細長い影がのっそりと現れる。  長身だが、肉付きが悪く、まるで細長いマッチ棒みたいな野郎だ。  法衣は着ておらず、ダボシャツとベストとニッカボッカという鳶職みたいな恰好をしている。剃髪していないボサボサ頭にタオルを巻いていた。  これが、こいつの『穢屋』稼業のときの作業着。  ちなみに俺は、薄汚い上下のツナギ。色は気分によって変える。今日は橙色だ。 「どっかの鳶職(とび)かと思ったぜ」 「修理工場作業員風の男に言われたくないね」  いつもの通りの軽口の応酬。  コイツとはもう三年組んでいる。頼りない外見だが、腕はいい。 「今回は少しヤバ筋らしいぜ」  一心 が、新たにタバコに火を点けながら言う。コイツのお気に入りの銘柄はセブンスター。  俺は吸わないので、タバコはよくわからん。何だって同じだろ? 「ヤバ筋って、何よ」 「依頼元がさ、お偉いさんなんだって」  俺たちは直接仕事は受けない。  代理人みたいな野郎がいて、ソイツが差配しやがるのだ。 「どっから仕入れたネタよ」  ポカリと紫煙で輪を作って、一心が俺の問いにやや誇らしげに答える。 「マイ・エンジェルのカガリちゃんだよ」  今度は俺が舌打ちする番だった。  一心は、某オカルトサイトに出入りしていて、その板の常連でカリスマで大勢のファンがいる美少女(推定)の『カガリちゃん』とやらのファンクラブに入っていやがるのだ。 「何が『マイ・エンジェル』だ、馬鹿。ネカマにきまってらぁ」  わざとそんな事を言ってやる。ちなみに『ネカマ』とは、ネット上の匿名性をいいことに、女性を装うキモい野郎のことだ。ネット上のオカマなので、略して『ネカマ』と言う。 「許せない、許せない、訂正しろ、訂正しろ」  お経を唱えるリズムで、一心 が俺を糾弾する。さすが坊さん。よく声が通る。  そのまま俺は、立ち入り禁止の板を外して、敷地内に入った。  一心は、いかに『カガリちゃん』が素晴らしいか、いかに可憐か、列挙している。俺はそれを片っ端からげらげら笑いながら否定してゆく。  そもそも、見たこともない相手がどうして可憐とわかるんだ?  がなりながら、一心 は、タバコをスパスパ吸って、地面に投げ捨て、乱暴に踏みにじる。  二人で大声を上げてふざけ合う。  痰唾を吐いて、石を蹴飛ばし、時にはガラスをぶち割る。  乱暴で傍若無人。あたかも、俺たちは本物の珍走団にでもなったかのように振る舞う。  勘違いしないで欲しいのだが、これは、わざとだ。  これが『穢し屋』の仕事なのである。  信じられないかもしれないが、この世界には本当に『負のパワースポット』というものがあり、そこは、特に原因がないのに自然と人々の足が遠のいたり、自殺者が出たり、凄惨な事件が起きたりする。  心に隙がない健康な者は、本能的にこうしたポイントを避けるのだろう。  犯罪者や落ち込んだりして心に隙間がある者は、逆に引き寄せられるしまうのかも知れない。  そうして、土地が穢れてゆく。  土地が穢れると、悪しき情念がそこに籠り、純化して『鬼』になるといわれている。  俺たち『穢屋』は、その穢れを別の穢れで上書きすることで『鬼』の生成を阻害するのが仕事なのだ。  上書きする『穢れ』は思い切り俗なものがいい。純化しようもないほど、くだらない『穢れ』がいい。  性器を表す下品な図案だったり、その言葉そのもだったり。そういった代物だ。  ガサツに振る舞うのも、この『穢れ』の上書きの一環。それに、こうしていると、昏い情念に囚われなくて済む。一種の防衛機構だ。馬鹿には鬼は憑かないもの。呪術の効きも悪い。  必ず二人組で作業を行うのは、漫才のように掛け合うため。  一人で黙々と作業をしていると高確率で死ぬ。この、ショッピングモールの様な『本物』では、特に。  二人組は相互監視の意味合いもある。  げらげら笑ったり、壁を蹴飛ばしたりしながら、俺は内心竦み上がっている。この現場は、久しぶりに『重い』。  くそ、早いところ『穢し』て退散しないと、本当にヤバい。  事前の情報では、ショッピングモールのイートインコーナーがヤバいらしい。  ここは、軽食の屋台村みたいになっていたらしいのだが、ここで揚げ物店で、フライヤーの煮立った油をひっくり返して、アルバイト店員が全身火傷を負い死亡。  以降、コンロが爆発して親子連れが大火傷を負ったり、衛生管理がしっかりしていたはずなのに何度も食中毒が発生したり、原因不明の異臭騒ぎが起きたり、極めつけは割腹自殺ときたもんだ。  そのハラキリ野郎は、覚醒剤中毒ポンちゅうということで事実は隠蔽されたが、これはいわゆる『霊障(れいしょう)』ってやつ。『鬼』憑きの事案である。  本来は、本物の拝み屋だか、退魔師だかが出張る事案だが、なんでも大きな捕り物があって、人手が足りないそうだ。警視庁が独自に造った『対・霊障』のタスクフォースチームすら出払っているらしい。(っていうか、あるのか? そんなもの?)  そこで、時間稼ぎのために、俺の様な下々の者にお声がかかったという次第なのだよ。  一心が、肩掛けカバンからスプレー缶を取り出して、上下に振る。  ベアリングが缶の中にあって、カラカラと音を立てていた。 「よっしゃ、始めるぜ」  壁に大きく『梵字』を書くのが、一心のスタイルだ。  その梵字を複雑な図形に紛れ込ませて、一つの図柄を作る。  一見、意味不明な図柄なのだが、その中に梵字が隠されているという仕組み。  こいつのご先祖は、美濃の土岐一族。鷲の絵を自ら描く事で有名な、鎌倉時代から続く由緒正しい武家大名の出である。  絵を描くという遺伝子が連綿と伝えられているのか、七色のスプレー缶を駆使するコイツの図柄は、見事だ。  俺は、写実的な人物像を描く。一応、美大出身だしね。  思い切り扇情的で下品なポーズの女性がモチーフ。  スプレー缶を筆の代わりに、壁にあられもないヌードを描く。  絵を描いている間は、ここに侵入してからしつこく続く肩の重みも、万力で締め付けされるような頭痛も、胃がひっくりかえっちまうような吐き気も忘れることが出来た。  スプレー缶を振って、カラカラと音を立てる。  持参したラジオを、適当にチューニングして、流しっぱなしにしていた。  これは、一種の探知機代わり。  『霊障』が顕現するとき、ラジオはノイズが発生して、故障する。それで俺たちは危険を察知するのだ。  それにしても、空気が重い。俺の様な、弱い能力者でも判る。  ああ……ここは、すごく『穢れ』ている。  死と恐怖が、べっとりと染みついているのだ。ショッピングモールの事だけではないはずだ。  俺は、アルファベットのMの形に股をおっぴろげた全裸の女を描き上げた。  なかなかいい出来だ。ここに存在する『穢れ』が、俺の造った『穢れ』に上書きされてゆく。  出来がよくないと、ここの『穢れ』に飲まれてしまうが、今のところ俺たちが優勢だ。 「笑え、いしどー君。笑いながら、六時の方向をこっそり見ろ」  下品な「タヌキの金時計」の替え歌をがなる合間に、一心 が俺に言う。  彼奴の顔は、紙のように真っ白だった。  言われた方向を、盗み見る。  見ながら笑った。  本当は悲鳴を上げそうだったのだが、笑いで誤魔化したのだ。  そこには、顔中水ぶくれの若い男が立っていたのである。煮えたぎった油をかぶって死んだ男の『念』だろうか? 「無視しろ、気付いた事を悟られるな。『(えにし)』を結ばれたら憑かれて、命にかかわる」  風にキンタマがぶらぶらしているという下品な歌を大声でがなりながら、息継ぎの合間に早口で 一心 が俺に言う。  その顔中水ぶくれの男から視線を引き剥がし、俺は女性器の俗語を大声で叫ぶ。  叫びながら、それを象徴する簡略化された図案を、でかでかと壁面にスプレーした。そうやって、この場を『穢す』。  ああ、くそ、吐き気が酷い。  眩暈もして地面が揺れている。  あぶないところだった。恐怖を感じると、『あちら側』に引き込まれる。  ―― くそ、くそ、くそ!  雰囲気だけじゃなく、『念』の可視化とか、もう半分悪霊化してるじゃないか。  四つん這いで、尻を高く突き出した、思い切り下品なポーズの絵を、俺は描きはじめた。  手が震えそうになるのをやっと抑えつつ、スプレーを壁面に吹きつける。  一心も、四つ目の図案に着手していた。  三年もの付き合いだ。一心 の意図は分かった。  東に『持国天』を示す梵字、南に『増長天』を示す梵字、西に『広目天』を示す梵字、そして今、北に『多聞天』を示す梵字を組み込んだ図案を描いている。仏法守護四天王の霊力で『穢れ』を結界内に封じるつもりなのだ。  俺は、下品な図柄を描いて『穢れ』を弱体化させる役目を担う。  体力の限界か、一心 が壁にもたれて、げぇげぇと吐く。  いつの間にか、水ぶくれの男が、一心 のすぐ横に立ち、彼奴の顔を覗き込んでいる。  ラジオが、どこか異国の電波を拾った後、プスプスと黒煙を吹く。  まずい、まずいぞ、一心が我慢できなくなって、水ぶくれ男と眼を合わせたら、憑かれちまう。 「このポンコツ!」  俺は怒鳴って、ラジオを蹴飛ばす。  ラジオは、壁に当たって部品を撒き散らして壊れた。  この一事で、また雰囲気が変わり、水ぶくれ男は地面に転がったラジオを見つめた。  この隙に、一心 が手早く『多聞天』の図案を描いてゆく。  俺は、下品なヌードを描き続ける。  カチカチと歯が鳴るのは、ここの気温が急激に下がってきたため。  初夏の陽気だったのに、今は吐く息が白い。  勘弁してくれ、ガチの心霊現象じゃないか。  一心 が俺をチラリと見た。  あと一筆で図柄が完成するらしい。  俺も大急ぎで裸を書き終える。  そして「F※CK ME!」という、しょうもない下品なセリフを書き込む。アレなので、一字伏せさせて頂きますけど。  カラカラと一心がスプレー缶を上下に振る。  そして、最後の一吹きを叩きつけた。  あとは、脇目も振らず走った。もう限界だ。  時刻は深夜。丑三ツ刻。  原付を運転する気力もないので、街灯すらない暗い『参道』に座り込んでいた。  手には、缶ビール。  今回は、キツい現場だった。  三輪スクーターのジャイロXに残しておいたスマホで、仲介者のサイトウに電話を掛ける。 「時間外なんですけどね」  眠そうな声。少しムカっとする。のんきに寝ていやがって。 「偶然だね、俺もだよ」  そう嫌味を言ってやる。  ケケケ……と、一心 が、それを聞いて笑った。  任務完了の報告をする。  寝ぼけてやがるのか、返事がない。  プスン  スマホが故障した。  目を上げると、まるでムンクの『叫び』みたいな顔で、一心 が俺を見ている。  ――なんだ? なにが起こった?  油っこい、何かが焦げたような匂いが、俺の背後から……
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