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少女のお悩み相談
「あのう朱音さん、さっきから何を話しているんですか?」
女性は不思議そうに町田に尋ねた。館長とは対照的に、長い髪を束ねずに耳を隠している。恐らく同い年か少し下くらいだろうが、あまりお洒落などに興味がなさそうな出で立ちだった。
「あーごめんねー。うるさかった?」
「いいえ、ただ気になっただけなので」
彼女はそう言うと彼らの方へと近づいてきた。吉井はただ、町田の部屋とされる3階からなぜ降りてきたのかを知りたかった。いままでの年賀状のやり取りで、娘がいるという話を聞いたことが無かったからだ。それどころか、結婚しているのかどうかでさえ、彼には分らなかった。
「紹介するね、今年の夏からここに住んでいる堀田美咲さんです」
「初めまして、堀田です」
「初めまして、吉井優です」
彼は少し混乱しながら、言葉を覚えたばかりのインコのように挨拶を返した。頭の中では親戚の子だろうかとか、じゃあなんで2か月以上住んでいるのかとか、様々な疑問が浮かんできた。
その後は3人で少し雑談をすることになった。堀田は吉井と同じ大学2年生だが、体調を崩して今年の1月に休学することになった。7月までは実家でゆっくりしていたが、心身の不調は思うように治らず、困った両親が昔から付き合いのある町田に相談し、ここで静養することになったらしい。堀田はゆっくりとカップを触り、カモミールティーを飲んでいる。その姿を見た感じ、彼女は静かではあっても病気ではなさそうに見えた。
その後、町田の勧めで2人で街を散歩することになった。堀田には同世代の知り合いを作ってほしいという町田の願いからだった。吉井は分かりましたと返事をすると、彼女と一緒に資料館を出た。良くも悪くも普通の人間である彼は、それなりに同性・異性問わずに知人や友人がいる。なので、それなりに距離の縮め方を知っているつもりだった。
しかし、堀田にはどのような話をすればいいのか分からなかった。休学しているという話を聞いたので、キャンパスライフについて話すのは避けた方が良いだろうと思った。ただ、自分の好きなバンドとか趣味を話すのもどこか違っているように見えた。3人で雑談した時に自分の事はそれなりに喋っていたので、今更自己紹介をする訳にもいかなかった。
しばらくは無言で街を歩いた。吉井は気まずさを感じてはいたが、これはこれで新鮮な経験だ。そして、遊具が沢山置いてある公園にたどり着くと、そのまま近くのベンチに座った。夕方とはいえ、平日なので殆ど人はいなかった。遠くでは2人の子供がブランコでどこまで高く行けるかを競っていた。
「あっ」
その時、堀田が何かを見て声を出した。吉井が彼女の目線を追うと、幼稚園児が荷台のような物に入って移動している姿があった。先生らしき姿が荷台を押しながら、子供たちに話しかけている。その方角から聞こえる賑やかな声が、こちらまで聞こえてきた。微笑ましい光景だと思い隣を見ると、彼女は笑顔になっていた。
「私たちにも、こういう時があったんだよね」
堀田は吉井の眼を見て言った。初めてしっかりと見た彼女の眼は、夕日と相まってきらきらと輝いていた。
「確かにあったよ。じゃなきゃ、僕も君もこの街に戻ってはこないはず」
吉井がそう答えると、堀田は頷いた。そして、黙りっぱなしでごめんなさいと謝って来た。一言も発したくない時だってあるのだし、言葉を使うのに疲れてしまう時だってある。吉井はそう言って、自分が緑の街にやって来た理由を軽く話した。ただ過去を懐かしむのではなく、見つめなおす事で平凡且つ退屈な日常を乗り越える術を見つけるのが目標だと伝えると、彼女は驚いていた。
「私はそんな大層な理由でここに来たわけじゃないから、ビックリしちゃった。でも、分かる気がするよ。私もこの街にいた時が一番幸せだった。小学校を卒業した後から引っ越したんだけど、その後は全然上手く行かなかったし。別にいじめがあったり、成績が著しく下がったわけじゃないけど、人との付き合い方が分からなくなっちゃった。多分、私にはクラス内の複雑な人間関係は合ってなかったんだわ。昔みたいにみんな荷台に積まれていた時代が、他人を理解できる限界だったのよ」
堀田は続けて、中学生の時に心身の不調が出始めたことを教えてくれた。頭痛、発熱、咳など風に似たような症状がちょくちょく現れて、いつの日か同世代との関りが希薄になったのだという。その都度母親は彼女を病院に連れていき面倒を見ていたが、具体的な病名などは無く、原因不明の風邪という事で薬を処方されて終わりだったらしい。両親とは仲は良かったが、やはり堀田の体調不良は彼らにとって心配事であり、よく2人でこれからどうすれば良いかを話し合っていたのを聞いていた。そこで堀田は、自ら緑の街に移動することを提案し、町田が場所を提供してくれたと言った。
「夏休みの時期に家にこもっていると辛く感じてしまうし、なにせ最近の夏は暑すぎるからね。すこしでも緑が欲しいって思ったの。今は朱音さんのところで家事手伝いをしながら住まわせてもらってる」
そう話している彼女の顔は、少しだけ寂しそうに見えた。他の19歳は、おそらくキャンパスライフを楽しんでいるか、社会人として働いているはずであり、そんな中1人だけ時が止まっているも同然な日々を過ごしている辛さというものを、吉井はこの時に理解した。そして、皆が皆同じように残された時間を使う必要はないはずであり、無理矢理周りに合わせる事も無いだろうと考えた。
「堀田さんが良ければ、僕と友達になってほしい」
吉井は頭の中に浮かんで来た考えを押し込んで、彼女にそう提案した。よろこんでという返事が聞こえた時、彼の心が温かくなっていくのを感じた。
2人はその後、公園を離れて洋菓子屋に向かった。町田が、戻る前に海藤さんのところにも挨拶に行った方がいいと言ったからだ。気温が少しずづ下がっていくのを感じながら、ドアにrecollectionと書かれた薄い緑色の店を目指す。歩きながら、堀田はここの店長さんにはお世話になっていると言った。どうやら、気まぐれで地域の住民にケーキを振舞ったりしているらしく、みんなのお爺ちゃんと慕われているそうだ。吉井も、よく店に入ってショーケースに並べられている商品を眺めたり、置いてあった漫画を読んだり、お客さんの話し相手をしたりと、色んなことをやっていた。今思えば、よく追い出さないでいてくれたなと感じた。小学生の時に、昼休みだから外に出ろと無理矢理図書室から追い出された時を思い出しながら、彼は海藤の優しさを再認識したのだった。
チリン、ドアに着けられているベルが鳴る音を聞きながら、2人は洋菓子屋にやって来た。運よく客がいなかったので、海藤に話しかけるのは簡単だった。
「ああ、いらっしゃい」
パティシエの服を着た男性が椅子に座りながら声を掛けた。彼が腕を置いている所に、ショーケースがある。
「こんばんは、海藤さん!お友達を連れてきたよ」
「お友達?」
「こんばんは。吉井優です」
彼はお辞儀をした後に、海藤の顔を再び見た。歳はとったように見えるが、感じ取った雰囲気は変わっていないように思えた。海藤は彼の名前を静かに繰り返すと、ああ!と大きな声を上げた。
「優か!町田さんから聞いていたぞ!今日戻ったって!」
海藤の表情が一気に豊かになったのを見て、吉井は自分の事をちゃんと覚えていてくれていたんだなと感じ、とても嬉しい気持ちになった。今日はもうしまいにしようと言って海藤は出口の方に行き、外側のドアの近くに「閉店」の看板を置いた。
「いやあ、嬉しい事だよ。2人も戻ってきてくれるんだからね。この街にはまだ子供たちが沢山いるけど、街を出ていった子たちとはなかなか会わないんだ。最近は年賀状を出すのも億劫になってしまったから、猶更遠く感じてしまう訳だ。そんな中で、わざわざ来てくれるんだから本当にありがたい」
「こちらこそ、僕の事を覚えていてくれて本当に嬉しかったです。最後に会ったのが10数年前なのに、ちゃんと名前を当時の呼び方で呼んでくれたんですから」
「君ほど記憶に残っている子はいないよ。誰よりもここに来てくれていたからね」
海藤はそう言って、ケーキとコーヒーを2つ分用意して、近くの席に置いた。そして、君たちへのプレゼントだと言い、また元の席に着いた。吉井と堀田は驚きながらも、ありがとうございますと言って席に着きながら、ケーキセットを頂いた。
「懐かしい。このレモンケーキとアイスコーヒーのセット、よくお母さんに頼んでいたんだよ。本当に美味しかったんだ」
吉井はポケットからスマートフォンを取り出して写真を撮った。その後、フォークで丁寧にケーキを食べていった。
「幼稚園児がアイスコーヒーなんて飲むものなの?私はショートケーキとダージリンティーのセットをよくおねだりしてたわ。お小遣いをもらってからは他のケーキや飲み物も頼むようになったけど、コーヒーは苦手だった。19になってやっと飲めるようになったけど、やっぱり甘いものがなきゃ無理」
堀田はそう言ってガムシロップをグラスに入れた。
「ここに来る大人たちが頼んでいるのを見て、真似してみたくなったんだよ。お母さんは驚いていたけど、実際に飲んでみたら意外と美味しいって思った。まあ、街を離れてからはあまり飲まなくなってしまったし、どこの店を探してもレモンケーキが見つけられなかったら、またこのセットを食べられて幸せなんだ」
「確かにレモンケーキってあまり見たことが無いかも。この爽やかさ、結構癖になるわね」
2人が雑談しているのを、海藤は遠くで見ていた。しばらく経った後、漫画が置いてある棚からアルバムを取り出した。そして、ページを開いて読み聞かせを行うように、小さい頃の吉井や堀田の写真、若い頃の町田や海藤の写真を当時の思い出と共に語った。アルバムには、他にもかつて街に住んでいた子供たちの写真や、街そのものの風景の写真もあった。最後のページに近づいていくと共に、写真がどんどんと新しくなっていく。海藤は、残りは最後のページだけだから、そろそろ新しいアルバムを買わなくちゃなと笑った。
吉井がrecollectionの歴史を追体験している中、堀田は裏表紙に書かれていた文章を読んでいた。そして、それを読み上げた。
"This album goes on unless the editor looks back on the past."
「このアルバムは編集者が過去を振り返る限り続いていく」
「凄いな美咲、英語が出来るんだ」
「少しだけね。小学生の時に英語のアニメとかを見て興味がわいたの。そして中学生になった時、自分だけが狭い世界にいるのは御免だって思って、本格的に英語を勉強し始めたの。だから体調不良で学校を休んでいる時は、洋楽とか、洋画とか、洋書とかに触れて遠くの世界に入り浸ってた。高校生の時も勉強は続けてたし、大学では国際教養学部に籍を置いてる。まだ話すのは苦手だけどね」
「さすがだ。僕は大した理由で今の学部を決めてなんかいないよ。単に自然が好きだったから環境学部に入っただけだし。まあ結果的に肌に合ってたからよかったけど」
「そうねー。まあ、私もクラスメイトと仲が悪いわけじゃないんだけどね。なんかよく分からないぎこちなさを感じてしまうっていうか……。まあ、ここに来れたっていう意味では正解なのかもね」
堀田はアルバムを海藤にそっと手渡すと、残っていたアイスコーヒーを飲み干した。海藤はもとにあった場所にアルバムをしまうと、食器を片付けた。
「優、美咲、外はもう暗い。そろそろ帰った方が良いよ。同じ街にあるとはいえ、ここから資料館までは距離がある。町田さんも心配している事だろう。安心させてあげなさい」
もう19歳だからそこまで心配もしていないだろうと吉井は思ったが、対面での記憶は幼稚園児の時から止まっていたことを思い出し、首を縦に振った。そして、彼に感謝の気持ちを伝えて、堀田と共にrecollectionを後にした。
「気軽においで」
海藤はドアのそばで2人に手を振った。外では街灯が資料館までの道を照らしていた。
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