緑の街のアルバイト

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緑の街のアルバイト

吉井と堀田は資料館に戻って町田と再び顔を合わせた。その時に町田は自分が別の街の幼稚園で働いている事と、街を出ている間は資料館を閉めている事を伝えた。そこで、吉井にアルバイトとして町田の手伝いをしてもらい、外出中は館長代理として留まってほしいと頼んだ。吉井は、大学の授業との折り合いがつくか不安だった。 「ここで働けるのならとても嬉しいのですが、出席が必須の授業も多く取ってまして。その時と被ってしまうと朱音さんの要望に応えられなくなってしまうのが……」 「ああ、そうだったわね。いくら何でも欠席させるわけにはいかないしね」 2人が考えていると、堀田が口を開いた。 「あの、優が出られない時は私が代わりに出ますよ」 「えっ、あなた体調大丈夫なの?結構力仕事もあるわよ」 「うん。僕も朱音さんと同意見だ。静養しに来たのに僕の仕事をしてもらうのは申し訳ない」 そろって心配そうな顔をする彼らを見て、堀田は大丈夫と胸を張った。朱音さんと街にいるみんなのおかげで十分回復出来たし、そろそろ体を動かして元の生活に戻る準備をしなくちゃいけないと話した。続いて、町田にこの機会を使わせてもらえないかと頼んだ。 「そこまで言うならいいんじゃないですかね。僕も助かりますし、安心して授業を受けられるので」 吉井は町田の方を向いてそう言った。 「まあ、本来優に払う予定だった給料の一部が美咲にいくだけだし、私は問題ないわよ。じゃあ、明日の昼またここに集まりましょう。ちょうと休館日だし、具体的な仕事内容を教えるわ」 堀田は少年少女たちに向かってウインクをした。 吉井は頷くと、出口に向かって歩き出した。そしてドアに触ろうとすると、後ろから待ってという堀田の声が聞こえた。 「優、今日はありがとうね」 彼女はそういうと、穏やかに手を振った。 「こちらこそ。また明日会おうね!」 彼は手を振り返して、今度こそドアに手を掛けた。 帰りの電車で、吉井はこれまでにないほどの幸福に包まれていた。彼は過去の線をなぞりながら、新たな線を引いている今が楽しいのだ。ただ昔を懐かしむではなく、新たな出会いや経験を積んでアップデートさせていくのは、とても素晴らしい事だと思ったのだった。頭の中にあった焦燥感が取れた今、彼は東京を再び大きな生き物として想像していた。眠らない生物は、腹の中で燦燦と光る街を今日も守っている。そして明日もこの生き物に世話になることを考えて、電車はゆっくりとその体から離れていくのだった。吉井は終始機嫌が良いまま、家へと戻った。 翌日、吉井は再び緑の街を訪れた。そして、町田と堀田に挨拶をすると、早速初仕事に取り掛かった。街の住人が形作ったものなので、当然ではあるが展示物や寄贈品は大切に扱うようにと言われた。それからは掃除と来客の対応のやり方を教わった。資料館は、開館しているときは出入り自由であり、入場料はかからない。そのため住人の憩いの場となっている。今でも展示される作品は増えているらしく、別の街からやってくる人もいるそうだ。 「数年に一度、有名な作家や画家がこの街から出てくるの。そういう人たちは無名の時から創作意欲が高いから、何かしらの作品をここに残していく。そして、有名になった時にファンが聖地巡礼をしにやってくる。街の外からの客はほとんどそういう人たちだよ。後は、街の人たちが持ってきた本や絵を見たくて来た人たちかな。マイナーなものが多いから、なかなか他のところに置いていないというのが理由みたい」 吉井と堀田はなるほどという表情で話を聞いていた。町田は、将来的には保管されている本は電子化させてスペースを作ったり、英語に翻訳するなどして海外からくる客にも説明できるようにしたいと語った。しかし、あくまで構想なのでそこまで手伝う必要はないらしい。 ひと通りの作業を経験した後、3人は昨日と同じように2階でカモミールティーを楽しんでいた。明日から助手のような形で働けるのが楽しみだと、ワクワクしながら雑談をしていたら、下から声が聞こえた。 「すみませーん。誰かいませんか?」 「しまった。休館日なのに鍵を締め忘れていたわ」 町田は急いで階段を降りた。吉井は2階から階段の手すりに手を置いて客の顔を見た。若い男性で、吉井や堀田より少し上くらいの見た目をしていた。 「ごめんなさい。今日は休館日でして。何かお探しでしょうか?」 申し訳なさそうに町田が謝ると、男性客は口を少し開いて「あっ」と言う素振りを見せた。そして彼はこう続けた。 「はい。本や絵画ではなく人なのですが、何かヒントになるものが見つかるのではないかと。しかし、休館日ということならまた出直します」 彼は軽く会釈をしてその場を立ち去ろうとした。そんな彼を町田は引き留めた。 「もし、時間があるんだったらここに居ても大丈夫ですよ。資料を探してもらって結構ですし、2階に子供たちがいるので相手をしてあげてください。私は町田朱音といいます。そして、向こう側にいる男の子が吉井優、奥の椅子に座っているのが堀田美咲です」 男性客が2階に目線を動かすと、そこで立っていた吉井と目が合った。彼は町田に感謝すると、吉井のほうに向かってはじめましてとお辞儀した。吉井はお辞儀し返すと、隣で堀田も同じ行為をしていたことに気づいた。 数十分後、彼は残りの3人と共に同じテーブルに座っていた。町田がカモミールティーが入ったカップを目の前に置いた。 「町田さん、吉井さん、堀田さん、始めまして。私は箕島裕太郎(みのしまゆうたろう)と申します。くつろいでいらっしゃったはずでしょうに、ここまでしてくれて有難く思っております」 箕島は丁寧な口調で3人に話しかける。 「それで、探していた人の手掛かりは掴めたのかしら?」 町田は興味深そうに彼に聞いた。 「いいえ、掴めませんでした。しかし、彼がこの街と関わりがあったのは事実です。きっと有益な情報が見つかるはずなので、時間がて来た時にまた来ます」 「それなら、もっと『彼』について教えてくれますか?探すためのお手伝いをしたいんです」 堀田は体を前に傾けて箕島に話した。彼は、それならばと探している人について教えてくれた。 名前は九段宏人(くだんひろと)。年齢は箕島と同じ23歳で、大学は違うところに通っていた。高校生だった時に渋谷で行われていたクリスマスイベントで知り合い、そのまま意気投合。休日に東京のあちこちを周って楽しんでいたらしい。しかし、お互い進路を決めるのに力を削がれたため、大学3年生になったあたりから会う回数が減少した。最後にあったのは、お互いの卒業を祝うために上野のアメ横商店街で乾杯をした時だった。それ以降は連絡がつかなくなり、独自に行方を追っているという。 「九段君は私の親友でした。他にも気の合う人はいましたが、彼ほどユニークで優しい人はいない。自分の個性を嫌悪していましたが、わざと人を心配させるような性格ではないのです。しかし、私は彼の家族ではない。警察に相談するのも変ですし、探偵を雇うほどのお金もありません。なので、過去に彼が話していたことをもとに片っ端から当たっているのです。先週は職場だと言っていた英会話教室に来たのですが、『そんな人はここにはいない』と言われまして」 「嘘つかれてたのかな?」 堀田は首を傾げた。 「可能性はありますが、わざわざ具体的な場所まで出して嘘を言う必要があるのかというのが分からないんです」 箕島の返事を聞いたとき、堀田は確かにという表情をした。 「九段さんとこの街には、どういう関係があるのでしょう?」 吉井がそう尋ねると、箕島はポケットからスマホを取り出して九段とのトーク画面を見せた。 「これは3年生の時のトークなのですが、英文で小説を書く課題が終わったので最近仲良くなった資料館の館長さんに預けたって言っているんですよ。よかったら読みに来てほしいってわざわざ場所まで書いているので、その作品に何かヒントがあればと思ってまして。しかし、端から端まで探しても見つからないんですよ」 「九段さん……九段さんねえ……」 町田は片手を額に置いて思い出そうとしていた。しかし、いくら記憶をひねり出しても、九段宏人なる人物の顔も、声も、雰囲気も頭の中のスクリーンに映し出されなかった。察した箕島が九段の写真を見せて、ようやく思い出した。 「そうだ!いた!ここでよくパソコンを開いて課題をしていたわ!ここのお茶が好きって言って喜んで飲んでいたし。洋菓子屋でもガトーショコラとアールグレイのセットをよく頼んでるって海藤さんから聞いていたわ!」 「はい、実はここに来る前に洋菓子屋さんにもお邪魔したのですが、海藤さんも同じことを言っていました。ただ、彼も同じように写真を見せるまでは覚えていないみたいでしたけど」 彼はその後にアップルパイとカフェオレを頼んで、この街の歴史について教えてくれたと言った。町田と堀田は、海藤さんっていい人だよねーと笑っている。そんな中、吉井はある疑問を抑えずにはいられなかった。何故箕島以外の人間が九段を忘れているのだろうか?話を聞いた感じ、確かに存在しているのだろうが、まるで架空の人物のように思えた。 「優、どうしたの?」 堀田が吉井に問いかける。 「ううん、何でもない」 吉井は口角を上げて答えた。 その後は町田の提案により自己紹介が行われた。箕島は幼いころ、南米のペルー共和国に滞在。そこで英語と基礎的なスペイン語を学び、帰国後は全日制の高校に通った。大学では国際教養学部に所属して、英語で様々な科目を履修した。卒業後は、大学院に進学し表象文化論を専攻していると言った。吉井は、まるで箕島が別世界から来た人間のように見えた。きっと自分よりもドラマチックな線を引き続けている、そう考えた時彼に興味がどんどんとわいてきた。 堀田は同じく英語を使って勉強をしている箕島に、どのように資料を集めているかとか、発表の時に気を付けることは何かと訊いていた。彼が丁寧に答えている中で、町田は九段が書いた作品を遠くで探していた。吉井はとりあえずスマホで九段宏人と検索し、なにか情報が載っていないかを確認した。しかし、やはりというべきか彼に関することは何も見つからなかった。まあ、そもそも見つかっていたらここには来ないか、と心の中でつぶやいた。 「では、そろそろお暇します」 箕島はそう言って椅子を離れ、本棚の近くにいる町田に声をかけた。そして、ゆっくりと階段を降りて外へ出た。町田は、結局見つけられなかったわと残念そうに言った。堀田は、いい人だったねと吉井に言った。そうだね、また会うのが楽しみだと彼は返した。 次の日から、吉井は家と大学と資料館を行き来する生活が始まった。彼の日々は間違いなく瑞々しいものとなった。資料館にやってくる優しいお客さんや、掃除をしているときに触れる紙の本のあたたかさや、有名人たちが残していった作品など、毎回働くたびに新しい何かが見つかるのがとても楽しかった。異国の言語で書かれた書物を感覚で理解しようとしてみたり、レポート作りのために本棚から何回か文献を探したりと、少し前ならやらなかったであろう事もやってみた。誰もいないときは、堀田と何気ない会話をしていた。そうして、夏の気配は少しづつ消えていった。 10月に入ったとある日、吉井はいつも通り本棚を整理していた。埃を被っている本を1冊1冊取り出して、きれいに拭いて戻していく。何回も何回も同じ作業を繰り返すうちに、とても分厚い本に出会った。おそらく、百科事典か何かだろうが、立ったまま拭くのは難しいと感じた吉井は、とりあえず床に座って本を置いた。その時、本棚と本棚の間に、何か紙のようなものが挟まっていた。吉井がそれを手前に引くと、複数枚のA4表紙がホッチキスで止められていた。表紙には"Campus Maze"と書かれており、作者の名前は見当たらなかった。 「これ、なんて読むんだ?『キャンパス・メイズ』か?」 各ページに番号が振り分けられており、最後は15だった。吉井は最初のページに戻って物語を読み始めた。
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