秋葉原から原宿へ

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秋葉原から原宿へ

10月中旬、外濠はY棟近くにある石のベンチに座っておにぎりを食べていた。教授の気まぐれで早めに授業が終わったので、昼食の時間をずらし、散歩にでも出かけようかと思っていたのだ。課題である哲学書を読むのがめんどくさく、これから受ける授業も無かったので、秋葉原にでも寄って帰ること決めた。 水道橋、御茶ノ水と電車が通り過ぎる。電気街口を通ってひたすら歩く。特に用事があったわけではない。ただ賑わっている場所に身を置きたかったのだ。秋葉原は、実に多種多様な人物が入り乱れている場所である。外濠のような学生もいれば、スーツを着た社会人、客を呼び込んでいるメイド、日本のポップカルチャーに魅了される外国人観光客、そしてありとあらゆる所で人々を見つめているアニメのキャラクター。この街はある意味で自由の象徴なのではないかと彼は思った。 (さて、ほとんどの所をまわってしまった) 外濠はわざとらしく頭を抱える素振りをした。彼はひとりの世界を打ち立てるのが上手だ。普段は富士見のような同世代と行動することが多いが、たまにソロで街を歩き、気まぐれでイベントに参加することがある。ある日は原宿でガールズボーカルグループのミニライブに行き、別の日には代々木公園でSNSのアイコン用に有名なイラストレーターから似顔絵を描いてもらった。世の中には、単独行動は虚しくなるから出来ないという人がいるらしいが、少なくとも彼はそう思った事が無い。 (まだ時間はあまっているぞ。何か新しいことでもしてみたいものだ。面白そうなものはないだろうか?) 外濠は周りをキョロキョロと見渡した。そして、近くにメイドカフェの入り口を見つけた。 (メイドカフェか……。面白そうだが、さすがに一人で行くのはハードルが高い気がする) 彼は自動ドアの前で入るかどうかを考えていた。前から興味はあったが、恥を捨ててメルヘンな世界に入り込むほどの勇気はなかった。友達と一緒ならばこの緊張感は分散されるのだろうが、今はその相手がいない。幸いにしてカフェは3階にあるため、メイド側からは彼の姿は見えていないはずである。もちろん、上から覗き込むように見られている可能性は否定できないが、彼女たちもそこまで暇ではないだろう。 ここまで悩むのなら、また別の機会に友達を連れて行こう。ひとり時間を楽しむとは言っても、ここまでする必要はないじゃないか、そう思っていた矢先に、奥にあるエレベーターが開いた。 外濠は邪魔にならないよう、咄嗟に脇に寄った。男はそのまま自動ドアを通過して、駅への方面へと歩いて行った。その時の通行人の顔が、箕島が送ってくれた九段の顔にそっくりだった。 「えっ」 思わず漏らしてしまった声に彼が気づくのは、数秒経った後だった。 「どうかしましたか?」 男は外濠の声に反応して、彼の方を見る。 「あっいえ、なんでもありません」 彼はそう答えてしまった。男は、そうですかと再び駅の方角へと体を向けて去っていった。 しまった。やってしまった。勇気を出して、「もしかして九段さんですか?」と言えばよかった。本当なら、ものすごい奇跡と遭遇する事になっただろうし、箕島の助けにもなっただろう。首を横に振ったとしても、すみません人違いでしたで済ませられたはずだ。せっかくのチャンスを逃してしまった。 「なんで人って、普段から奇跡を望んでいるはずなのに、いざそれがやって来るとうろたえちゃんだろうなあ」 外濠はため息をついた。こんな状態でメイドカフェに入ったところで、きっと楽しめないだろう。今日はもう帰って、炭酸でも飲みながらゲームをプレイしよう。そう考えて男と同じ方向を向いた時、スマホに通知が来た。 「やっほー!いま原宿で買い物しているんだけど、暇だったら来ない?」 富士見からのメッセージだった。これはいい気分転換になりそうだ。普段買い物などしないし、ましてや他人の買い物の付き添いなんてしないが、今ならやってみたい気がする。 「もちろん!今秋葉原にいるから、移動までにちょっと時間かかるけどいい?」 彼女からOKのスタンプが来たのを見て、彼は早歩きで駅に向かうのだった。 ―――――――――― 「うん! これでいい感じ!」 富士見は、試着室で鏡を見ながらポーズを決めた。最先端のファッションがある街、原宿で女友達と一緒におしゃれを楽しんでいた。今年はこの色とこの種類の服の組み合わせがトレンドらしいよーと言いながら、次から次へと試着していく。そして、気に入ったものを購入して、両手に手提げ袋を持ちながら2人で竹下通りを闊歩した。道先にあるクレーブ屋や綿あめ屋に立ち寄ったり、記念写真を撮ったりとまさに青春と呼べる1日を過ごしていた。 「ごめーん。私これからバイトがあるから、ここで別れるね!またあそぼ!」 友達は、原宿駅で富士見にそう言った。うん、じゃあねと彼女が返すと、友達は目の前の横断歩道を渡っていった。 「写真は後で送るねー!明日の授業で会おう!」 富士見は、彼女の姿が見えなくなるまで駅の前で立っていた。そして、ひとりになった途端、少し寂しい気持ちになった。外濠や吉井よりも彼女は交友関係が広く、学部の垣根をこえて友達がいる。事実、外濠との出会いも富士見から声を掛けた事がきっかけだった。のちに彼から、もし話しかけてくれなかったらここまで交流はしていないだろうと感謝されたことがある。さっきまでいた女友達も同じような事を言っていた。ありがたく思われているならとても嬉しいものだ。しかし、好かれているのならばなぜ寂しさなんかが心の中に存在しているのだろうか? 両手に紙袋を持ったまま、富士見は明治神宮へと歩いていく。目の前にある鳥居に一礼して、森のカーテンの中に入り、近くにあった木製のベンチに座る。彼女は紙袋を右隣に置いてただ遠くを見つめた。そして、外濠に原宿に来ないかとメッセージを送った。そして、彼が駅に着くまで休むことにした。 アメリカに住んでいた時から、常に誰かが隣に居てくれた。そのお陰で、学校で仲間外れにされるような事は無かったし、クラスメイトの外向的な性格に影響されて自分も明るい人柄になっていった。英語が完璧に話せるようになった頃には、富士見はアメリカンガールそのものだった。 彼女が説明しにくい違和感を感じ始めたのは、おそらく帰国してから数か月後である。いままでロサンゼルスで友達を沢山作って来たが、地元の高校を卒業したことがきっかけで、そこを離れることになった。仲間はパーティーを開き、新たな門出を祝ってくれた。そして、彼女はいままでに撮った写真を携えて日本にやって来た。帰国後は大学入試対策に力を注ぎ、翌年の2月に無事法務大学の合格通知を勝ち取り、4月に国際教養学部に入学した。 ここまでは別に問題なかったのだ。違和感は、入学して少し経った後に訪れた。物心がつくかつかないかくらいの時にアメリカに引っ越し、そこで過ごしてきた彼女にとって、日本は見知らぬ土地であったのだ。受験生だった時は勉強の事で頭がいっぱいだったため、時差ボケ以外で気になることはあまりなかった。親の教育方針のお陰で日本語は何不自由なく話せたし、日本の文化もそれなりに理解しているはずだった。しかし、圧倒的に自由がある大学に自分の身を置き始めた時、自分が孤独であることを認識せざるを得なかった。今まで、ずっと周りに居てくれた同世代の人間の真の有難みに、ここで気づいたのである。 大学生になってから最初の2ヵ月は、何かと壁を感じる事もあった。同学部の学生は、大半が海外に住んでいた経験があったので何かと感性が近く、仲良くなるのには時間はかからなかった。問題は、他学部の学生と接する時である。とあるサークルの新入生歓迎会に参加した時に、バイリンガルの帰国子女というだけで、なぜか凄いと褒めたたえられたのだ。その後、英語や海外に関する質問攻めにあった。流暢な発音を聞かせてほしいだとか、英語で夢は見るのかとか、アメリカ人ってみんな出合い頭にハグするのかとか、興味津々に聞くので、喜んで答えた。 この状態で歓迎会が終わっていたら、今に繋がるような壁や違和感は存在しなかっただろう。問題はここからだった。終盤に差し掛かってきた頃に、富士見はトイレに行くために席を外した。そして、来ていた場所に戻ろうとしたら、サークルのメンバーの話し声が聞こえてきたのだ。 「富士見さんってなんか日本人っぽくないよねー」 「分かるわー。まるで外国人だよ」 「英語が出来るってだけで注目を集めるってどうなんだろうね」 富士見はそのままバックを携えて家に戻った。グループチャットには急用ができたので戻りますと書いた。そして、キャンパス内で彼らと顔を合わせることはもう無かった。 あの時彼女の心に湧いてきたのは、怒りの感情よりも、集団から切り離された悲しみだった。別に自分は自慢をするために他人と関わっているのではない。単に、日常生活で喜びと幸せを安定的に手に入れたいだけなのだ。周りの反応を見て、適切な態度を取ったはずなのに、本心では煙たがられていた。そして何よりも頭に残った疑問、それは自分が日本人であるか否かだった。 富士見の両親は日本人で、彼女自身も日本で生まれ、数年は日本で暮らしている。ゆえに、彼女の母国語は日本語であり、アメリカに引っ越した後も家では日本語で話していた。ただ、思春期という多感な時期を海外で過ごしてきたゆえに、考え方や感性は日本的ではないのかもしれない。今更確認する気はないが、それが原因で日本人というコミュニティーから離れて過ごすような事は御免だと思った。ただ、ショックはなかなか消えずに1年生の時は同世代との交流を学部内に留め、2年生の時から全学部共通の科目を履修して、新たな友達を探すことにした。そこで出会ったのが外濠だったのだ。 「原宿駅についたよ。今どこにいる?」 外濠からの通知で今に引き戻される。嫌な事を思い出してしまったと富士見はため息をつく。ただ、服を選んで、甘いものを食べて幸せな気持ちになっていたのは事実をかき消す必要はないと思った。とりあえず、外濠を迎えに行かなくては。彼女はメッセージに既読を付けて、こう返信した。 「表参道口にいて。そこに行くから」 ―――――――――― 「よう」 外濠が富士見を見つけて手を振る。 「ありがとうね。急に呼び出したのに来てくれて」 「タイミングが良かったからな。それで、買い物の付き添いをしてほしいだっけ?」 彼は富士見の両手にある紙袋を見ながら言った。 「いいや、それはもう大丈夫。その代わりに話し相手になってくれない?場所は守が決めて良いから」 「なるほど?」 外濠は少し考えて、言葉を続けた。 「じゃあ、少し歩こうか。ちょうど渋谷と原宿の間に座れる場所があるんだよ。そこで話をしよう」 「了解」 富士見は彼の後をついていき、広場のような所にやってきた。他の人も座りながら話している中、空いている場所を見つけて横に並んだ。後ろには大きな建物があり、その中に何個かお店が入っているという状態だった。 「よし、これで良いでしょ。それで、何の話をするんだい?」 外濠は富士見の方へと顔を向ける。 「ああ、まあ相談事なんだけどね」 「相談事?」 「うん。説明するのが難しいから、時間もらうね」 「分かった」 富士見はゆっくりと自分の心の中にある違和感を話し始めた。日本人として生きてきたはずなのに、普通の日本人からかけ離れている気がする。しかし、アメリカ人なのかと言えばそうでもない。学校では多種多様な考えを認めることの大切さを教えられていたから、個性が出ていて当然だと思っていたのに、日本では集団でいることの重要さを教えられる。 「どちらが良いとか悪いとかっていう話じゃなくて、単にこの混乱している気持ちをどう対処すればいいか分からないんだ。今までは自分らしさ全開でも暮らしていけた。だって、周りには理解者がいたからね。でも、例のサークルの人たちもそうだけど、今の周りの人たちを見ていると、いかに『染まれるか』が大切なんだなって。事実、私も近くに仲良くなれる人がいないと不安だし、これから日本で暮らしていくつもりだから、『染まり方』を学んだ方がいいのかなって思ったんだよ」 郷に入っては郷に従えって言うじゃない?と富士見は笑顔を作った。外濠は、彼女の明るさがどんどん薄まっていくのを感じた。そうだねえと吐息と共に口から出した後、彼は自分の話をし始めた。 「既に知っている通り、僕は文学部の学生なんだけどね。この前、教授が文学の定義を問うてきたんだ」 え?という顔をする富士見を横目に、彼は続ける。 「それで、何週かにわたって文学の定義を議論することになったんだけど。行きついた結論は何だと思う?」 「何だったの?」 「『明確な定義などない』だよ。文字で表現された作品はみんな文学と思うだろう。なら、歌詞カードに乗っている文字は?キャンバスに書かれた文字は?漫画に描かれている文字は?考えれば考えるほど深い穴に入って行ってしまっているような感じで、なんら光が見えてこない。そして、穴を掘り続けているうちに別の疑問にたどり着いてしまうんだ。『そういえば戯曲って文学だっけ?』てね。そうやって迷いながら進んでいったのに、教授から教わった答えは定義なしだよ。あんまりだとは思わないかい?」 まるで料理店で、少ない量なのに高いお金を払わされたかのような顔で外濠が話すものだから、富士見はクスッと笑ってしまった。彼はさらに話を続ける。 「でもね、その後他の言葉についても考えてみたんだ。幸福とか、愛情とか、自由とか、感謝とか、正義とかね。みんな日常生活でよく聞く言葉だけど、明確な定義なんて存在していないだろ?でも、周りの人間はそういう大切な言葉を特定の方法で解釈して、それを正しいって言っているんだ。正しさや間違いって言葉にも明確な定義が存在しないのにも関わらずね」 外濠はそう言うと、ゆっくりと呼吸した。 「だからね京子、君はそのままでいいんだ。たまたま君の言葉の解釈の仕方が、そいつらの仕方と合っていなかっただけなんだよ。君は底抜けに明るい。その明るさを消してまで社会に適合しようとしなくたっていいじゃないか。嫌われ者って言われている人間ですらファンがつくんだ、明るい君ならここでも必ず理解者が現れるよ。僕や、一緒に聖地巡礼をした3人のようにね」 「ありがとう守。気が楽になったよ」 外濠は彼女の色が元通りになっているのを感じ取った。 「なにかお礼をしたいんだけど、やりたい事とかある?」 まさか相談に乗っただけなのにと、彼は少し驚いた。しかし、彼女の優しさを無下にする訳にはいかない。そこで、秋葉原に遊びに行った時の事を思い出した。 「そうだ!ならメイドカフェの付き添いをしておくれよ。男ひとりでいくのは結構勇気がいるんだ」 「OK! じゃあ、また別の日に行こうか。私も興味があったし、どうせならちゃんと調べてから行きたいし」 「了解!じゃあ、昼ご飯でも食べないかい?近くに中華料理屋があるんだ」 「分かった!」 2人は、ベンチから立って店の方へ向かって歩き出した。その姿は、まさに自由に生きる若者だと言っても相違ないだろう。
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