新たなる友人

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新たなる友人

一方、吉井はS棟2階の1号室で、森林破壊についての講義に出席していた。教授が昨今の温暖化や異常気象の事例と合わせて、工業化の弊害を語っている。しかし、ここは大講義室である。高校の時とは違って、教授とかなり距離を取りながら聞くことが可能だ。つまり、極論を言ってしまえば、別の事をやりながら後で授業のレジュメを確認すればいいという事になる。環境学部に籍を置いている人間として、この授業は重要であるし、興味があるのだが、やはり100分間完全に集中するのは難しい。堀田と富士見が籍を置いている国際教養学部は少人数で授業をするらしく、しかも積極的な発言を求められると聞いた。もし自分が彼らと同じところに居たら、間違いなく置いてけぼりにされてしまうだろう。そう考えるとここで良かったと心底思うのだった。 「事例として、アマゾンにおける森林破壊と先住民族の生活の営みへの影響について……」 教授は、スライドショーを使って大きなスクリーンにいくつか写真を映し出している。正直に言うと、このスライドも授業支援サイトに載っているので、今ここで見る必要はない。インターネットというものは実に便利なものだ。後から手軽に授業内容を復習できるし、分からないところがあったらすぐに調べられる。教授に何か連絡する必要があるなら、メールを送れば返事が返ってくる。グループワークでも無い限り、ひとりで勉強を完結出来てしまうのが大学生なのだ。今ここに居るのは出席の紙を教授に渡すため。ちゃんと出ていますという意思表示だ。 「あのーすみません」 隣で誰かが声を掛けてきた。吉井が横を向くと、男子学生がここ開いていますかと言ってきた。別に知り合いがこの授業にいるわけではないので、空いてますよと返した。 「ありがとうございます」 男は、隣に座ってパソコンを開いてきた。 この人はいままでの授業にいただろうか?吉井は記憶を思い起こした。自分よりも前に座っている人の後ろ姿と彼を合わせてみるが、誰とも一致しない。秋学期が始まってしばらく経つが、この人はいままで一度も出席していないのだろうか。だとしたら、中間レポートの対策はいったいどうするつもりなのだろうかと思った。 「やっぱ変に見えます?」 男はこそっと声を出した。吉井はなにも答えなかったが、心の中ではそうに決まっているだろうとつぶやいた。 「実はもぐりでして。あっちこっちの教室に忍び込んでるんです」 彼は笑いながら遠くのプレゼンを眺めている。吉井は、初めてもぐりの学生と交流をした。普通なら適当に返事をして終わりだろうが、少し話してみたいと思った。 「環境学部の2年生、吉井優です。あなたは?」 「経営学部2年の、居無秀(いなししゅう)です。よろしく」 「経営学部ですか。初めて話したかもしれません」 「そうですか。実は僕も環境学部の人と話すのは初めてでして。どうです?授業が終わったら一緒にお昼でもどうですか?」 「いいですよ。今日はこの授業が最後なんで」 授業終了のベルが鳴った後、2人は教室を出て飯田橋駅方面に向かった。居無によると、近くにうどん屋さんがあるのだという。スクランブル交差点の前におおきなビルがあるのだが、そこの3階に行くと安くて美味しい麺が食べれる。実際に店の席に着いて、麺を啜った時に彼の言っていることは間違いないと思った。いつも通っている場所を高い場所から見下ろしながら、吉井は満足していた。 「キャンパス周辺の料理屋さんをあっちこっち回ってるんですよ。みんなキャンパス内の学食か、コンビニ飯で済ませてしまう。たしかに、構内に3つもカフェテリアがあればそれでいいやってなるのは分かります。昼休み時間も案外短いですしね。しかし、そうやって卒業を迎えて、もうこの市ヶ谷・飯田橋に来ないというのは残念な気がするんです。単に、勉強と遊びの間を行き来するだけが学生生活じゃない。こうやって街を『探検』するのも一部だって思うんです」 しっかりとしているなと吉井は思った。もぐりをしているのも他学部の雰囲気を感じ取っているのだという。同じ大学内でも学部ごとに人が違う。居無はそれが面白いんだと語った。 「唯一国際教養学部の授業だけは参加出来ていなんです。あれって、少人数で行うでしょ?だから、ひとりずつ出席を取るんです。それっぽくしていても、一発で他学部の人間だってばれちゃうんですよ」 居無は、どうしようもないですよねと言った。一応、参加する方法を調べたらしいが、かなりの英語力が必要らしいので諦めたらしい。 「いやあ、よく調べますね」 吉井は感嘆した。彼は、興味があるものはとことん調べたくなるたちなのでと返した。お互いに食事が終わると、もうひとつ行きたいところがあると言った。 「ここから少し遠くにあるパンケーキ屋さんに行きませんか?前にひとりで行ったときに閉まっていて、入れなかったんですよ。今日は開店日のはずなので行けるんですけど、女の子ばっかりな気がして不安なんです」 吉井はすこし考えた。パンケーキは以前食べたことがあり、それ単体でお腹が膨れるほどのボリュームであったと記憶している。先ほどうどんを食べたばかりで、少し歩くとはいえ胃の中のスペースを空ける事なんて出来るのだろうか? (いや、出来るな。デザートは別腹って言うし) 吉井は彼についていくことにした。法務大学の最寄りは飯田橋駅と市ヶ谷駅である。しかし、両駅から地味に離れている結果、大学に着くまでに10分程かかる。そしてパンケーキ屋は市ヶ谷方面にある。つまりうどん屋さんからは20分くらいかかるとみていいだろう。2人は歩きながら気ままに雑談をした。 坂を上り、靖国神社沿いの道を行くと多くの飲食店がある。居無の説明を聞きながら、吉井は辺りを見渡した。アジアン料理から、イタリア料理まで実に多くのお店が並んでいた。そのまま日本武道館方面に行くと、パンケーキ屋さんがあった。隣にあるパン屋さんも美味しいらしく、機会があったら一緒に行こうと彼は言ってくれた。 階段を上り右側を向くとドアがあった。吉井はそれを引いて店内に入る。直後にいらっしゃいませと言う女性店員の声が聞こえた。他の客は意外にも家族連れや、男性のひとり客だった。居無はほっと胸をなでおろす。彼が渡されたメニュー表を見ている間、吉井はさっき通った道を見つめていた。 「決まったのでどうぞ」 メニュー表を渡された彼は、左側から順にメニューの説明を読んでいく。そして、最後のページに差し掛かろとした時にある文字が目に入った。スペシャルパンケーキだ。写真を見ると、3段重ねになったパンケーキの上に、蜂蜜とアイスクリームが乗っている。期間限定品と書かれていたので、すこし値は張るがこれに決めた。 「ご注文はお決まりですか?」 女性店員がこちらにやってくる。 「僕はローズヒップジャムのパンケーキで」 「僕はスペシャルパンケーキで」 「ローズヒップジャムのパンケーキと、スペシャルパンケーキですね。少々お待ちください」 女性店員が厨房に消えて行ったあと、2人はしばらく話さずに休憩していた。居無は待っている間に課題を終わらせ、吉井はCampus Mazeの翻訳版のコピーを読んでいた。 「それは一体?」 居無は紙の方へと視線を向けた。 「ああ、これは先輩が残していった作品だよ。原文は英語なんだけどね、友達に翻訳してもらったんだ」 「作品ですか。卒業論文ではなくて?」 「掌編小説だよ。課題だったらしい」 吉井はそう言うと吉隅に紙の束を手渡した。彼は早めのペースで物語を読み進めていく。そして、最後のページに到達したときに、ああこれはと声を漏らした。 「どうかしたかい?」 吉井はお冷に口を付けた。 「いや、この物語、法務大学を舞台にしているんだなって。でも、並行世界だから大学というよりかは街になっている。興味深いですね」 彼はそう言うと、タイトルのCampus Mazeという言葉に人差し指を走らせて、再び最初のページから読み始めた。 「お待たせしました。ローズヒップジャムのパンケーキと、スペシャルパンケーキです」 女性店員が、少し大きめの皿を2枚、テーブルの上に置いてきた。そして、ごゆっくりどうぞと軽くお辞儀をして離れて行った。 「ああ、実に美味しそうだ」 居無は上からパンケーキを覗き込むようにみている。きれいなルビー色のジャムがちょこんと乗っている。吉井は自分のパンケーキを見てみた。3枚重ねという事もあり、居無のと違って高かった。頂上にあるバニラアイスが少しだけ溶けており、その光景が食欲をそそった。 「いただきます」 2人はゆっくりとナイフでパンケーキに切り込みを入れていく。吉井は、自分のが倒れないように慎重に1枚ずつ皿に並べた。 「うん、やっぱり美味しい。ジャムの味が甘酸っぱくて最高だ」 満面の笑みで食べ進める居無を見ながら、吉井もアイスクリームと一緒にパンケーキを食べた。冷たいものと暖かいものが同時に口に入ると、とても良い感じだ。なんというか、心地良いのだ。食べきれるかどうかを心配していたが、どうやら問題はなさそうだった。 「ごちそうさまでした」 2人は綺麗に食べ終えて、満足げにお冷を飲んだ。居無は、ここに来れて良かったと店内を見まわして言った。それは僕も同感だと吉井は返した。 会計を終えて店を出た後、彼はこれを貰ってもいいかと吉井が持っていたCampus Mazeのコピーを見せた。どうやら作品に興味がわいたらしく、家で読み直したいそうだ。吉井は、コピーならまたとれると判断し、それを渡すことにした。 「僕は市ヶ谷駅に行くんだけど、君は?」 吉井は尋ねた。 「ああ、僕は武道館方面に用事があるのでこれで。ありがとう、楽しかったです」 「そうか。じゃあまた!」 彼のその言葉に反応して、居無は手を振った。そして、そのまま背中を向けて歩いて行った。 吉井は駅へ向かっている間、いい出会いだと喜んだ。いつもこの時間帯は家で課題をしているかゴロゴロしているかのどちらかだったが、今回は久しぶりに有意義な時間を使ったと言って間違いないだろう。大学付近の飲食店をたくさん知っていると言っていたから、あちこちに連れて行って貰おう。きっと楽しいぞ。そう小さな声で言ってふふっと笑った。そしてスマホを取り出し、メモ帳に「彼の連絡先を聞いて、自分のと交換する事」と打った。
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