北海道U市廃墟

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北海道U市廃墟

 はるばる来たぜ~……  そんな事を、船上で潮風に吹かれながら歌っているのは、剃髪した頭にタオルのねじり鉢巻きをした、作業着姿の男、土岐(とき)一心(いっしん)。  坊さんみたいな名前だが、こう見えて真宗大谷派のれっきとした住職だ。 「逆巻く波を乗り越えて、あれに見えるは、函館じゃなく苫小牧だ」  うんざりしながら、俺は一心の後頭部を叩いた。  一ヶ月ほど前、俺とコイツは廃墟と化した某アウトレットで、『仕事』をしていたのだが、少ししくじってしまって、初夏なのに凍死寸前まで衰弱した姿で発見され、先週まで入院していたのだ。 (第一話「ショッピングモール参照)  本当に、死ぬところだった。本当に、死ぬところだった。いや、マジで。こえ~よ。 「ははは、君たちにはちょっと手に余る『案件』だったねぇ」  俺たちに仕事を斡旋したサイトウがしれっとそんな事を言う。  この野郎……と思ったが、サイトウが異変を感じて救援を寄越してくれたから俺と一心は衰弱死しなかったし、奇妙な症状なのに疑問視しない『ワケあり』病院に入院できたのもサイト―の差配のおかげだった。入院費がタダだったのは、せめてものお詫びだろうか。感謝する気は起きないがね。ヤバい現場に叩き込みやがって、コンチクショー。 「痛いなぁ、イシドー君、暴力反対。でも、船で北海道といったら、コレでしょ」  コイツは俺の事をイシドーと呼んでいるが、俺の名前は石動(いするぎ)近衛(このえ)という。  『石動』をインプットエラーしたまま、修正できないのだ。お経はすらすらと諳んじるので、記憶力はあるはずなんだが。まぁ、この呼び名にも慣れた。 「馬鹿野郎、誰のせいで、北海道まで二十四時間も移動していると思っていやがる」  飛行機で行けば二時間で札幌まで行けるのに、俺たちの移動に航空便という選択肢はない。  土岐は飛行機が大嫌いなのだった。  一度、羽田から広島までむりやりコイツを飛行機に乗せたことがあったが、搭乗から降りるまで、延々とお経を唱えやがったのだ。  まったく、『呪われたフライト』みたいになっちまって、懲りた。乗客の皆様にも迷惑だ。信心深い婆さんが数珠取り出して唱和しやがるし。子供は「こわい~」と泣くし。 「だって、イシドー君! あんな鉄の塊が飛ぶんだよ! 阿弥陀様のお教えに反するよ!」  北海道新幹線という選択肢もあったが、土岐の野郎、高所恐怖症のうえに閉所恐怖症ときたもんだ。 「だって、イシドー君! 海底トンネルとか無理だよ! 阿弥陀様のお教えに反するよ!」  ……で、説得が面倒くさいので、東京から愛機ジャイロXで茨城県の大洗まで三時間。船で十九時間。  待ち時間を入れたら、およそ二十四時間の移動というわけだ。  夕方出発した船は、翌日の昼過ぎに苫小牧に到着する。  土岐の奴、俺の真似してジャイロXを買いやがって、お揃いの原付で北海道を走るとか、どこの人気北海道ローカル番組だよ。 「函館には、サブちゃんの記念館があるよ。東京に出てきたときの下宿の原寸大のジオラマとか、あるんだって。楽しみだねぇ」  そんなのんきな事を、一心がほざいてやがる。  だから、到着するのは苫小牧だっていうのに、インプットエラーすると、修正がきかない野郎だ。 「遊びで来たんじゃないぜ。仕事だ、仕事」  俺たちの仕事は、堅気の仕事じゃない。  ヤクザみたいなイリーガルな仕事ではないが、大ぴらには言えない仕事だ。  俺たちの稼業は『穢し屋』と呼ばれている。  シャレにならない『祟り』級の穢けがれを、下品な落書きや、意味不明の記号などで上書きすることで、無効化する……というのが仕事。  何を言っているか、わからないと思うが、俺も実はわかっていない。  どうも、俺や一心が描く絵や図形には、なんらかの『力』が籠っているらしく、それが『穢』に有効なのだそうだ。  俺は美大出身だが、霊力うんうんはともかく、魂に語りかける絵があるのは確かだ。それは、上手い、下手ではない。感受性に起因するのだと思う。  つまり、俺の絵は『穢』に働きかける何かを持っているということらしい。  でもまぁ、芸術愛好家気取りの成金の心を動かす方が、生きるのに楽なんだがね。幽霊だの祟りなんぞは銭もってないし。  だから、「穢なんて、なかったんや」って事にしたい連中の為に、二十四時間もかけて苫小牧に来たわけだ。金だよ。世の中金さ。  フェリーから、ジャイロXに乗って降車用のタラップを降りる。  港湾作業員のおっちゃんが、「事故るなよぅ」と笑って手を振ってくれた。  バイクツーリングの連中を多く見送ってきたのだろう。三輪スクーターは珍しいかもしれんが。  手を振り返して、苫小牧港に出る。  海の駅ぷらっと港市場という、道の駅の港版の中にある海鮮食堂で、遅い昼飯を食べた。  せっかくなので地のモノをと注文したのが『苫小牧ホッキ炙りめし』ホッキ貝を炙ったのが載っているどんぶりものなのだが、これが旨い。長時間の移動が報われた瞬間だ。ありがとう苫小牧市。  港町のガソリンスタンドで給油して、室蘭本線と寄り添うようにして走っている国道234号線、通称『由仁国道』をひたすら走る。  冬季は雪深い場所なのだろう。道路の境界線を示す矢印が、標識の様に道沿いに並んでいた。  東京郊外の田舎に住んでいると、想像できない光景だ。  延々二時間ほど走っていると、別の国道と交差する。  ここで、我々は併走していた室蘭本線と別れ、国道274号線、通称『三川国道』に入る。  ごちゃごちゃした東京に慣れていると、まっすぐで、あまり対向車がこない道は、気持ち良いと同時に、なんだか怖い。  まるで、異界に入り込んでしまったかのような……  ガソリンスタンドをみつけて、また給油する。  こんな何もない場所でガス欠とか、勘弁してほしいからだ。 「はい、これ、イシドー君の分」  売店で、何かを一心が買ってきた。  熊除けの鈴らしい。 「北海道といえば、ヒグマーだからねぇ。この鈴で撃退できるらしいよ」  いやいやいや、羆は「ヒグマー」っていう怪獣じゃないから。  それに、この鈴は「魔を退ける聖なる鈴」とかじゃなくて、音を鳴らして羆さんとばったり遭遇するのを防ぐものだから。羆さんの自主的な遭遇回避に頼っているだけだっつうの。でも、今は人間と羆の生活圏が近すぎて、鈴は有効じゃないらしいけど、どうなのだろう。まぁ、実験したいとは思わんが。  俺のナップザックに、一心が鈴を括り付けている間、俺はスマホをマウントする道具をジャイロXに装着していた。  ここからは、目的地であるかつて炭鉱で賑わっていたU市郊外にある、廃村にむかって枝道に入らないといけない。スマホのナビが必要だった。  ガソリンスタンドで休憩をとりながら、作動確認をする。  GPS機能をつかったナビは、正常に作動した。  バッテリーから、電源をスマホにつなぐ。無線で音声を飛ばす補聴器みたいな装置を耳に。このため、俺はフルフェイスのヘルメットではなく、ハーフヘルメットなのだ。  U市郊外にある目的地をインプットする。  そこは、廃墟と化した炭鉱博物館で、観覧車などがあるミニ遊園地も併設されているアミューズメント施設。炭鉱産業で羽振が良かった時代には、市民の憩いの場であったらしい。  ご存知のとおり、このU市は財政破綻してしまい、こうした施設はことごとく廃墟と化し、近郊の集落はまるでゴーストタウンみたいになっているらしい。 「この先、五十メートル先、右折です」  よしよし、正常に作動しているな。ハスキーな女性の声が俺の耳に囁く。  ナビの音声が選べるのだが、俺はこの声が好きだ。婀娜あだなお姐様に翻弄されるシチュエーションは、アレがアレするときに俺が妄想する場面。  こうした、エロい妄想を頭に浮かべているのは、一種の防衛装置でもある。  馬鹿やエロは、ガチの心霊現象とは、相性が悪いものなのだ。 「もうすぐ、目的地だ。いくぜ」  一心に声をかける。  奴は手首に数珠と熊除けの鈴をつけていて、返事の代わりにチリンチリンとそれを鳴らした。  昔の都電かよ。  暮れなずむ三川国道を走る。陽は陰り、逢魔が刻。  U市は財政破綻以降、人口が激減したらしいが、なるほど寂れた印象だ。  ナビ画面にタッチする。  嫌な予感がしていた。さっさと穢して、撤収したいところ。  道を間違えて時間をロスしたくない。なにせ、ここは『重い』のだ。 「百メートル先、左折です」  ナビ子さんが、囁く。入院中、尿道カテーテルとかいう器具を嵌められていたけど、抜く時が激痛だった。そんな場面で、ナビ子さんのような看護師さんに抜いてもらいたかったものだ。 「あらあら、石動くんは、医療行為なのに興奮しているのね? この変態」  とか、冷たい笑顔で蔑んでほしかった。  実際は、男性看護師だったので、ちょっと損した気分だ。  ナビ子さんの指示に従って、左折する。  目的地の博物館に近づいている。  市街を抜け、山道に入る。気温差の影響か、靄が出てきた。  ジャイロXのヘッドライトを点ける。  後方十メートルを走っている一心も点灯したようだ。  登り坂なので、エンジンがパルルと苦しげだ。がんばれジャイロちゃん。  再度、ハンドルにマウントしているスマホにタッチする。 「二十メートル先、右折です」  そうナビ子さんに指示される。  靄はますます濃くなり、速度を下げる。 「次の交差点を、右折です」  スマホにタッチしていないのに、そう指示が出る。  何? 交差点? ここは一本道だったはずだが?  靄の先に、交差点が見えた。  地図情報を更新していなかったのだろうか。  ウインカーを出し、ハンドルをそっちに向けようとしたとき、後方の一心のジャイロXからけたたましくホーンが鳴った。  何事かと、ブレーキをかける。  一心が俺に並んだ。 「イシドー君! 何しているのさ!」  心なしか声を震わせて、作業着姿の一心が言う。  棒の様に痩せたコイツは、読経以外の時は、声にビブラートがかかっている印象なのだが、今は明らかに震えていた。 「何って、こっちに……え?」  見たはずの交差点は、靄に紛れてしまったかのように消え、俺が曲がろうとした先は、錆びて朽ちたガードレールだけがあった。  その下は崖。落ちたら、多分死んでる。  ナビ子さん、バグったか? あぶねぇなぁ。  スマホを再起動し、位置情報をインストールし直す。  そのうえで、改めて目的地の博物館跡をインプットした。 「このまま、直進です」  ナビ子さんの声。澄ましたハスキー声に、悪意を感じるには気のせいだろうか。 「一応、僕もスマホのナビを起動するよ。僕のナビ声は、マイスィートエンジェル、カガリちゃんの声なんだよ」 「文字だけの存在だろ? 声聞いた事あるのかよ?」 「想像だけど、きっとこういう可愛い声だよ」  コイツは、某オカルト板に出入りしていて、そこの常連で固定ハンドルネームの美少女(想像)、『カガリちゃん』とやらの、大ファンなのだ。  入院中も、いかに自分が怖かったか、切々とカガリちゃんに訴えていたものだ。  その結果、お見舞いに、大量のサクフワした『みかん味のお菓子』が送られてきた。彼奴に一つ分けてもらったが、ゲロマズな代物だ。  一心は読経中みたいな顔で、全部完食。 「さすが、カガリちゃん。チョイスが個性的」  と言っていたが、マズいと言わないのは感心した。  U市内の錆びた自販機で買った、ペットボトルのお茶で喉を潤し、再びジャイロXにまたがる。  ナビを起動させたが、今度は正常に動いている。 「よっしゃ、いくぜ」  俺の声に、一心がチリンチリンと鈴で応えた。  自転車よりやや早い程度の速度で、山道を往く。  街灯が無かったり、あっても故障していて、暗い。  ただし、遠くに観覧車らしき遺構がうっすらと見え、明かりが明滅していた。  これは航空法の『民間障害標識』なのだろう。  山の天辺にある人工建造物なので、六十メートル以上九十メートル以下の基準を準用して赤色点滅灯が灯されているらしい。  また、崖下に誘導されたくないので、慎重に進む。  曲がりくねった林道を進んでいると、方向感覚がおかしくなる。  だが灯台の様に、靄の奥に観覧車の赤色点滅灯が見え、それが指針になった。  一時間ほど走っただろうか。  靄は晴れ、地図上ではもう目的地のすぐそばだった。  寂れた道の先に看板。U市はかつて映画祭を開催して町おこしをしようとした場所で、市内に「キネマ街道」という名の通りがある。その看板だった。 「イイイイ……イシドー君!」  看板を指さして、一心が震え声を上げる。  俺たちは、山道に入ったはず。  迷って同じ道を逆行したと仮定しても、この方向からここに出る事は不可能だった。  いわゆる『心霊スポット』を穢すのが俺たちの仕事なのだが、稀にこういうことが起きる。  現場に辿りつけないという現象だ。  事故が発生して道路が封鎖されたり、人身事故で電車がとまったり。  だが、空間がねじ曲がるとか、体験したことはない。 「あんたら、『心霊すぽっと』とやらにいくんだべ?」  軽トラックが、呆然としている俺たちの脇に停まって、運転席の爺さんが声をかけてくれた。  白い軽トラックの扉には、頭部がメロンになっている熊という、ちょっとアレなデザインのゆるキャラ(……なのか? これ?)がプリントされていて、U市農業協同組合の文字が見えた。 「ええ、まぁ、迷いまして。博物館に行きたかったんですけど」  怪奇現象に遭遇したとも言えず、そう答える。 「近く通るから、案内してやるべさ」  そう言って、渋で煮しめたような爺さんが欠けた歯を見せて笑った。  人懐っこい感じで、ちょっと可愛い。  爺さんの好意に甘えて、軽トラックの後に続く。  山道に入ると、やっぱり靄が濃くなり、軽トラックも速度を落としていた。  また、クネクネと曲がりながら山道を登ってゆく。  地元民だけあって、慣れているのだろう。軽トラックは徐々にスピードを上げて行った。  念のため、スマホをタッチする。 「目的地、再設定されました」  そんな音声が聞えた。 「目的地、『死』、あなた、死にます」  軽トラックの追尾をやめて、急ブレーキをかける。  地面にタイヤが擦れて、キキキっと音を立てた。  ジャイロXは三輪スクーター。滅多な事では転倒しない。なので、怪我しないで済んだ。自立した奴は大好きさ。  トラックは、チカチカと馬鹿にするかのようにブレーキ灯を点滅させながら、右に曲がってゆく。  そっちは、崖だ。  どうやって、あの軽トラが走っているのか見当もつかない。  突然、俺たちの頭上から、大音量の笑い声が降った。  バラバラと落ちてきたのは、生臭い何か。  地面で跳ねている。小魚だ。 「イシドー君、『怪雨(あやかしのあめ)』だよ、これ……」  世界的に目撃されている怪現象で、『ファロッキーズ』と呼ばれている。  日本でも江戸中期に編纂された百科事典『和漢三才図会(わかんさんかいずえ)』にも記されている現象だ。  ここまでの怪異を起こせる相手なら、もはや俺たちの手に余る。  あはは……、観覧車、七色に光ってるんですけど。無理っす。  行ったら死ぬって、これ。  七色の電飾された観覧車を見ながら、サイトウに電話を入れる。 「時間外なんですけどね」  眠そうな声。少しムカっとする。のんきに寝ていやがって。 「偶然だね、俺もだよ」  そう嫌味を言ってやる。  ケケケ……と、一心 が、それを聞いて笑った。  任務継続不可能の報告をする。  嫌味を返されると思ったが、サイトウは「やっぱりね」と言いやがった。 「東北から北海道南部をフォローしている有能な外注者がダウンしましてね。一人スカウトしたんですけど、まだ経験不足で。まぁ、君らが無理なら、上位の術者を動かすことにします。ご苦労様でした。報酬はいつもの口座に振り込んでおきますよ」  一方的にサイトウがまくしたてて、通話を切る。  まったく、俺たちは『噛ませ犬』じゃないんだぜ、サイトウめ。  撤退を告げようと、一心に向き直った。  すると、まるでムンクの『叫び』みたいな顔で、一心 が俺を見て、チリンチリン・チリンチリンと熊除け鈴を鳴らしていた。  なんだ? なにが起こった?  むっとする獣臭、コッフ、コッフという息遣い、それが俺の背後から……
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