編集部ではお静かに

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編集部ではお静かに

「それどういう意味ですか!?」  俺は思わず声を荒げ机を叩いた。その瞬間までざわざわと忙しかった編集部が静寂に包まれる。 「お、落ち着いてください。かがり()先生」  目の前に座る後藤(ごとう)君が抑えた声で俺をなだめようとしている。掌を下に向けたまま両手が宙を彷徨っていて、いつもクールな彼に似合わず慌ててるな、と沸騰した頭の端で分析した。  パーテーションで区切られた打ち合わせスペースの前を人が通るたびに、何か危ないものを見るような視線が俺たちに注がれる。きっと奴らの中では大声をあげた俺が悪者になっているんだろう。  クソが、と口の中で毒づいて俺は硬い座面に座りなおした。 「で、もう一回言ってもらえますか」  担当作家が自分の不用意な一言で怒りだしたことに、彼は顔を青くしている。困惑と焦りで視線が定まらないさまを俺はじっと睨みつけた。 「えっとですね、その、悪い意味ではなくてですね」  口を開いたと思ったら、今度は自己弁護のためのセリフが飛び出す。反射的に眉間にしわを寄せた。 「かがり火先生のキャラは、もっと執着があっていいと思うんです」  と、後藤君は俺が大声をあげる直前の言葉を繰り返す。 「すみませんが、もう少し具体的にお願いできますか。後藤君の感覚だけで言われても困るんで」  俺が機嫌の悪さを隠そうともせず足を組みなおすと、自信なさげな瞳が彼の足元に向けられた。  今日は次の新作に向けて打ち合わせをするために編集部へ来ていた。少年誌の連載作品は入れ替わりが激しい。人気があったSFを数年連載していたが、先月ついに最終回を迎えた。それで、俺たちは次の連載に向けてアイディア出しをしているところだった。  後藤君は去年の冬から担当になった新米編集者だ。なんでも希望して俺の担当になったらしい。殊勝な人間もいるもんだ、とまっさらなスーツで挨拶に来た彼を見ながら考えたことを覚えている。  後藤君は概ね優秀な編集だった。読者の需要を捉えた言葉選び、王道になりすぎない展開、綿密なスケジュール管理。理性的な態度でサポートしてくれる彼は、理詰めで漫画を描く俺とは相性が良かった。しかしながら、普段の彼らしくもなく、時折感覚で物を言っているとしか思えない指摘を飛ばしてくることがあった。そのたびに俺は自分の作品を適当に批判されたような不快感を覚える。今回もその類だった。  後藤君は下を向いたままだ。言葉を選んでいるのだと思ったから、俺は腕を組んで大人しく待つ。  打ち合わせスペースの前を通った人間が五人目を数えた頃、ようやく彼は顔を上げた。生真面目な瞳が俺の顔を見つめた。 「率直に言わせていただきますと、先生のキャラはお話を進めるのに必要な役割を全うしているように読めてしまうんです」  その言葉で俺の怒りはピークに達した。脳内が突沸したように滅茶苦茶になる。血管がどくどくと脈打っているのを感じた。  漫画は、俺の人生そのものだ。今時はワークライフバランスなんて言葉が流行ってるらしいが、そんなものは俺には一切関係ない。目覚めている時間全てを漫画に掛けている。漫画に描くものは全て俺自身に等しいと考えているし、作品で一人でも多くの読者を楽しませることが俺の使命だと信じている。  そんな風に作った作品を編集者風情、ましてや漫画のまの字もわかってないような新人にケチつけられたことに異常に腹が立った。  …………いや、頭では理解している。  俺は、キャラクターを自分が構成したストーリーに合わせて、最適な行動を取る駒としてしか動かせない。『キャラクターに自我がない』とは、これまで書評でも散々指摘されてきたことだし、何より弱点として自覚しているつもりだった。  けれども、目の前の新米編集者はこれまで読んだどんな書評よりも的確に、俺の弱点を表現してきた。その言葉に、俺は酷くプライドを踏みにじられたと感じた。  叫びだしたい衝動を、ぐっと腹筋に力を入れて押さえつける。口を開かないように唇の内側の柔らかいところを力いっぱい噛んだら、血の味が舌の上に充満した。  馬鹿にしてるんですか、と出かかった言葉をすんでのところで飲み込めたのは、目の前の男が至極真面目で誠実な顔をしていたからだ。  行き場がないせいで身体の中を暴れまわる熱を、深呼吸で逃がしてやる。 「そのネームのどのあたりでキャラが役割的になっているか教えてもらえますか」  問いかけに後藤君ははっとして、机の上のネーム三話分を丁寧にめくった。  次回作は王道のファンタジーにするつもりだった。主人公は国教の神から天啓を受けて勇者となり、魔王を倒すべく旅をするというのが大まかなストーリーである。  一話目で主人公は勇者に選ばれ、王都に向かうことを決める。二話、三話では道中の村で新しい仲間を迎える流れだ。  よくあるストーリー展開だからこそ、展開についてもっとアドバイスがあると思っていたのに。まさか、何も悩まなかったキャラに注文が付くとは。  紙が擦れる音を聞きながら、後藤君の次のアクションを待っていた。不意に動きが止まり、彼は俺が見えるようにネームを広げた。 「例えばここ。ヴィクトーは幼い頃からずっとリザのことが好きなんですよね? でもリザが勇者についていくと決めたときから別れまで、ずっと笑顔です。あまりに聞き分けがよすぎる気がするんです。村長の孫で村を離れることができない境遇を割り切っていたとしても、悔しがる素振りや悲しみを押し殺す描写があってもいいんじゃないでしょうか。それから、勇者が大蛇の魔物からリザを助けるシーン。構図やコマ割りはめちゃくちゃカッコよくて流石かがり火先生という感じなのですが、ここでの会話もあっさりしていて、次の宴のシーンでリザが勇者に好意を抱いているというのが唐突に感じられてしまいます。そりゃあ、年頃の女の子だしフィクションなんだから一目ぼれくらいあるでしょと言いたくなるんですが、折角メインキャラの出会いのお話なんですから、もう少しキャラ自体を掘り下げてもいいんじゃないかと僕は思います」  こちらが口をはさむ暇もなく後藤君は、淀みなく整然とした考えを述べた。  予想外の彼の圧にたじろぎながら俺は指摘箇所を読む。やっと冷静になって思うのは、彼の指摘が俺の弱点が浮き彫りになっているシーンを的確に示していることだった。  俺自身、特別にキャラに思い入れを持つ作家ではない。そりゃあ、長い間書き続けていれば愛着は湧くし、ちゃんと最後まで彼らの物語を書き上げてあげたいと強く思う。けれども、ストーリーの外にある彼らの生活や心情を考えるほどではない。その深みの無さが後藤君や書評の批判する『役割を全うするだけのキャラ』なんだろう。  数年漫画を描いているくせに未だ改善の兆しを見せない弱点に俺は頭を抱えた。ネームを下敷きにして、机に額を押し付ける。「かがり火先生!? 大丈夫ですか?」と慌てた声が後頭部の上を通過した。 「先生……? 体調悪いですか? タクシーお呼びしましょうか?」  後藤君があんまりに心配した調子で呼ぶので、俺はのそりと上体を起こす。そうして、今しがたまとめた気持ちを口に出す。 「もう少し、よく練ってみたいと思います」  そう言うと、後藤君はやっと緊張から解き放たれたように表情を緩めた。 「はい、よろしくお願いいたします。前作の単行本の発売もあるのでもう少しスケジュールに余裕はあると思います」  立ち上がった後藤君はそう言って、机に頭が付きそうなほど深く頭を下げた。俺はそれに軽く返事をして、やり直しになったネームを片手に打ち合わせブースを出る。  気まずいだろうに後藤君はエレベーターの中までついてきた。いつも通り出口まで見送るつもりか。二人きりの空間に重い沈黙が流れる。  ──俺の作品に足りないのって、なんなんだろ。  階数を示した数字がどんどん減るのを見ながら、前にいる彼に言われたことを考える。ストーリーや台詞はわりとすぐに改善のアイディアが出る方だが、キャラの掘り下げについてはちょっとやそっとじゃ解決しそうにない。  地上に到着したエレベーターから降りて、自動ドアを抜ける。適当なところで声がかかるかと思ったが、予想外に後藤君は会社の外にまでついてきた。  ──もういいだろ、一人にしてくれよ。  しびれを切らした俺は振り返って口を開いた。 「あのさ、もう」  そのときだった。 「っ、先生危ないっ!」 「はっ?」  後藤君の愕然とした表情と言葉に、俺は顔を動かす。  眼前に迫りくるトラックに対して、俺に成すすべはなく、ただ目の前の彼を力いっぱい押すことしか出来なかった。
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