4.事故物件・後編

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■ ──三か月後 三笠伊織という名前がトレンドに上がっているのを見て、狗飼は大学の学食で重い溜息を吐いた。 それもそのはずだ。関連ワードは「電撃引退発表」「引退会見」だからだ。 「……もう、生きてたくない」 突っ伏しながらそう呟いていると、ポンと肩を叩かれた。 絢斗だった。 「よっ、ラーメン奢ってやろっか」 「いい。なんも食う気しねえ」 「そこまで落ち込む? いいじゃん、引退しても推しと同棲してんなら勝ち組じゃん」 あの事件後、狗飼は同棲を猛アタックした。下心がないとは言えないが、純粋に、心配だったからだ。 伊織は最初は躊躇していたようだったが、若宮の霊が完全に部屋から消えてしまったことが分かると、狗飼の部屋に住むことを了承してくれた。 寝室は現在、伊織の部屋として使われ、リビングは狗飼の部屋として使用し、ダイニングを共用スペースとしてルームシェアをしており、今のところこの先もずっとこの生活は続く予定だ。 だが、それとこれとは話は別だ。 推しが引退してしまうことがショックなことに変わりはない。 絢斗はわかんねーなーと呆れた顔で呟いた後、少し声を潜めて言った。 「なあ、マジであの男のこと、警察に届けなくて良かったのか? やったこと、ガチ犯罪だぞ」 「………ああ」 本当はそうしたかったが、四ノ宮は余罪が多すぎる。 警察にあの動画を調べられたら、伊織は知らなくていいことまで知ってしまうだろう。 飛鳥井衛士が、何に代えても守りたかった秘密を、守らない訳にはいかなかった。彼の死体は、未だに見つかっていない。海に捨てられたのか、山に捨てられたのか。いずれにしろ、永遠に見つからないような気がした。彼はこの先も、伊織のことを守り続けるつもりだろう。 「でもあいつ、またいおりん狙いに来るんじゃないの? マジ〇チじゃん」 「……いや、もう絶対、来ることはない」 狗飼はそう言って、スマホの画面にWEBニュースの記事を表示させて見せた。 『劇場跡地の廃墟で、男性の首吊死体発見』 そのタイトルに、絢斗は首を傾げた。 ─警察は遺体の身元はAMIDATVでディレクターを務める四ノ宮雄一さんと見て、捜査を進めています。四ノ宮さんは、元JPテレビのディレクターで、人気番組を多数手がけ、現在はネットTVで活躍されていましたが、半年ほど前から休職し、連絡が取れない状態となっていました 「え……お前が殺したの?」 「なんでだよ」 「いや、でも……このタイミングで首吊りって」 あの日。 狗飼は四ノ宮を殺す代わりに、自分に長年憑いている女の霊を取りつかせることにした。 『あの男が、一緒に死んでくれる』と言い聞かせると、ダメ元のつもりだったが、彼女は四ノ宮を気に入ったようだった。 ──来るな! バケモノ! 血まみれの女が近づいてくると、四ノ宮は半狂乱になって追い払おうとしたが、一度取り憑かれたら最後、ものすごい執念で付き纏われることは、何年も取り憑かれていた狗飼自身がよく知っていた。 ──良かったな。幽霊なら、成長しないし、劣化もしない ──いやだ、どうにかしてくれ! 頼む! ──冗談。お前らお似合いだよ。お幸せに 四ノ宮はおそらくだが、かなり霊感が強く、憑かれやすい体質だ。 若宮の霊のことも、はっきりと感知しており、共感して死にたくなるほど影響を受けていた。 それでも、自殺をするようなタマではないとも思っていたが、女の執念が勝ったのだろうか。 初めて、あの女の霊に感謝をした。 廃劇場の首吊死体事件のことは、ネットではホラーマニアの間で、ちょっとした噂になっていた。 四ノ宮の死体は、恐怖に顔が歪んでいて、おおよそ自殺した表情とは思えず、最初は警察も、他殺を疑ったぐらいだったという話だ。 これもまた、殺人だろうか。 だとするなら、伊織が望まない形のことをしてしまった。それでも後悔はしていない。 これしか方法は、なかったのだと思う。 (飛鳥井さん、俺、守りますよ。どんな手を使っても、あなたが守りたかったもの、全部。生きてる限り) 心の中で、今は亡き同志に向かい、固くそう誓った。
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