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──三か月後
三笠伊織という名前がトレンドに上がっているのを見て、狗飼は大学の学食で重い溜息を吐いた。
それもそのはずだ。関連ワードは「電撃引退発表」「引退会見」だからだ。
「……もう、生きてたくない」
突っ伏しながらそう呟いていると、ポンと肩を叩かれた。
絢斗だった。
「よっ、ラーメン奢ってやろっか」
「いい。なんも食う気しねえ」
「そこまで落ち込む? いいじゃん、引退しても推しと同棲してんなら勝ち組じゃん」
あの事件後、狗飼は同棲を猛アタックした。下心がないとは言えないが、純粋に、心配だったからだ。
伊織は最初は躊躇していたようだったが、若宮の霊が完全に部屋から消えてしまったことが分かると、狗飼の部屋に住むことを了承してくれた。
寝室は現在、伊織の部屋として使われ、リビングは狗飼の部屋として使用し、ダイニングを共用スペースとしてルームシェアをしており、今のところこの先もずっとこの生活は続く予定だ。
だが、それとこれとは話は別だ。
推しが引退してしまうことがショックなことに変わりはない。
絢斗はわかんねーなーと呆れた顔で呟いた後、少し声を潜めて言った。
「なあ、マジであの男のこと、警察に届けなくて良かったのか? やったこと、ガチ犯罪だぞ」
「………ああ」
本当はそうしたかったが、四ノ宮は余罪が多すぎる。
警察にあの動画を調べられたら、伊織は知らなくていいことまで知ってしまうだろう。
飛鳥井衛士が、何に代えても守りたかった秘密を、守らない訳にはいかなかった。彼の死体は、未だに見つかっていない。海に捨てられたのか、山に捨てられたのか。いずれにしろ、永遠に見つからないような気がした。彼はこの先も、伊織のことを守り続けるつもりだろう。
「でもあいつ、またいおりん狙いに来るんじゃないの? マジ〇チじゃん」
「……いや、もう絶対、来ることはない」
狗飼はそう言って、スマホの画面にWEBニュースの記事を表示させて見せた。
『劇場跡地の廃墟で、男性の首吊死体発見』
そのタイトルに、絢斗は首を傾げた。
─警察は遺体の身元はAMIDATVでディレクターを務める四ノ宮雄一さんと見て、捜査を進めています。四ノ宮さんは、元JPテレビのディレクターで、人気番組を多数手がけ、現在はネットTVで活躍されていましたが、半年ほど前から休職し、連絡が取れない状態となっていました
「え……お前が殺したの?」
「なんでだよ」
「いや、でも……このタイミングで首吊りって」
あの日。
狗飼は四ノ宮を殺す代わりに、自分に長年憑いている女の霊を取りつかせることにした。
『あの男が、一緒に死んでくれる』と言い聞かせると、ダメ元のつもりだったが、彼女は四ノ宮を気に入ったようだった。
──来るな! バケモノ!
血まみれの女が近づいてくると、四ノ宮は半狂乱になって追い払おうとしたが、一度取り憑かれたら最後、ものすごい執念で付き纏われることは、何年も取り憑かれていた狗飼自身がよく知っていた。
──良かったな。幽霊なら、成長しないし、劣化もしない
──いやだ、どうにかしてくれ! 頼む!
──冗談。お前らお似合いだよ。お幸せに
四ノ宮はおそらくだが、かなり霊感が強く、憑かれやすい体質だ。
若宮の霊のことも、はっきりと感知しており、共感して死にたくなるほど影響を受けていた。
それでも、自殺をするようなタマではないとも思っていたが、女の執念が勝ったのだろうか。
初めて、あの女の霊に感謝をした。
廃劇場の首吊死体事件のことは、ネットではホラーマニアの間で、ちょっとした噂になっていた。
四ノ宮の死体は、恐怖に顔が歪んでいて、おおよそ自殺した表情とは思えず、最初は警察も、他殺を疑ったぐらいだったという話だ。
これもまた、殺人だろうか。
だとするなら、伊織が望まない形のことをしてしまった。それでも後悔はしていない。
これしか方法は、なかったのだと思う。
(飛鳥井さん、俺、守りますよ。どんな手を使っても、あなたが守りたかったもの、全部。生きてる限り)
心の中で、今は亡き同志に向かい、固くそう誓った。
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