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バスルームを借りて、パジャマに着替えて念入りなスキンケアを済ませて出てくると、リビングに布団が一組置かれていた。
「え゛っ」
「なんですかその声」
「やだ! ここベランダからアレが夜中に覗いてくるかもしれないだろ!」
「アレは三笠さんの部屋に憑いてるんで、こっちには来ませんよ」
「お前の寝室で一緒に寝かせて貰うんじゃだめなのか。俺の部屋と同じ間取りなら、寝室結構広いだろ」
すると狗飼は、珍しく動揺したように目線を逸らした。
「……いや、いいですけど、寝室はもっとやばい霊が出ますよ」
伊織はその言葉にヒクッと頬を引き攣らせた。
「まさかこの部屋も事故物件なのか??」
「そんなわけないでしょう。寝室に出るのは部屋ではなく俺自身に憑いてる霊のストーカー女です」
「霊のストーカー?」
聞き慣れない言葉に首を傾げると、狗飼は苦笑を浮かべたまま言った。
「霊は寂しがり屋って言ったじゃないですか。それをよく知らなかった中学生の頃の俺は一度構ってしまったんですよ。以来どこに引っ越しても付いてきます。長い髪の毛の血まみれの女が夜中に出てもいいなら、寝室で一緒に寝ましょうか」
「な、なんだよそれ!!」
究極の選択を突き付けられて、悩んだあげくに伊織は寝室で寝ることにした。
どうしても今夜だけは、誰かの側で寝たいという気持ちがあった。
狗飼は夜中に目を覚ましても絶対に自分のベッドを見ないようにと言って、アイマスクを貸してくれた。
「あとベッド下は絶対に見ないでくださいね」
「……そこに潜んでるのか」
想像すると怖すぎて身震いすると、狗飼は「そっちはもっと怖いものがいるんで」とにこやかに言い放った。
事故物件のはずの自分の部屋よりも恐ろしい部屋に来てしまった伊織は、バズッた興奮も相まってとても眠れそうにないと思っていたが、布団に入ると、あまりの肌触りの良さにすぐに眠くなってきた。ここ最近の疲れもあったのかもしれない。
狗飼はまだ眠る気はないようで、ベッドサイドの明かりを頼りに怪しげな本を読んでいた。
「……この布団、高級布団だな。学生のくせに生意気」
「バイト代で買ったんですよ」
「……もしかして、彼女用の布団とかじゃねーよな?」
「彼女だったら一緒のベッドで寝ますよね」
「ま、まー、そうだな」
伊織はこれまでスキャンダルはご法度な生活を送っていたので、そういったことには疎く、密かに頬を赤くした。
「……狗飼は俺の部屋の前の住人の生前を知ってるのか?」
「いや、俺が越してくる前からすでに事故物件でずっと空き部屋だったんで。何人かたまに越してきましたがみんな一週間と経たずに首つり死体の霊を見て退去してます。本来、物件で自殺があったとしてもその後に誰か住めば告知義務は無くなりますが、あの部屋はどうしても出るので、心理的瑕疵物件のままなんです」
「そうか……。よっぽど、消えたくないんだなアイツ。死んだあともずっと、腐るまで忘れられちゃってたなんてかわいそうだ……」
本格的に眠くなってきた。
眠りに落ちる前に少しだけアイマスクをずらしてスマホで日課のエゴサをしてみると、そこにはいくら見ても見切れない程のツブートがあって、そのことに無性に安堵した。
(良かった……これでしばらく、俺は消えずに済む)
スマホを抱きしめるようにしながら、伊織は眠りに落ちた。
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