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深夜二時。
狗飼早馬は何かが耳元で囁く不快な音に目を覚ました。
薄目を開けると、案の定背の高い血まみれの女が覗き込んでいる。
長い髪を早馬の顔に垂らし、唇をわななかせながら、早口で呪詛のような何かを言っている。昔は怖かったが、毎晩のことになってしまえばこの異常な光景も日常だ。
それは「声」というよりは「音」で、何と言っているのかは分からない。だが、女が何を伝えたいのかは分かる。
『死んで一緒になりましょう』だ。
「誰が一緒になるかバーカ」
寝転がったまま中指を立てると、女の顔は怒りに歪み、また、日本語として成立しない崩壊した言語で罵詈雑言をまくしたてた。
それを無視して身を起こすと、隣でスマホを大事に握りしめたままスヤスヤと眠る伊織の姿が目に入った。
(やっぱり本物の〝いおりん〟なんだよな……)
狗飼は音を立てないように慎重にベッド下に手を突っ込むと、重たいカラーボックスを引きずり出した。
『Lament結成三周年記念全国ツアー』
『三笠伊織 15歳の夏 in ハワイ』
水着写真集やらCDやらポスターやら数々が詰まったそれを、万が一にも伊織に見られることがないよう、隣の部屋に運び込む。相変わらずストーカー女は背後にピッタリとくっついてきた。
長年推しているアイドルが隣の部屋に越してきて、その上自分の部屋に泊まるなんていうアニメのようなことがあるとは思わなかった。
子供の頃、事故に遭って霊感体質になってからというもの、母親は「早馬が怖い」とノイローゼ気味になり、学校では嘘つきとイジメに遭い、不登校になった。家からほとんど出なくなり、毎日祖母と一緒に夕方ドラマの再放送を見るのだけを楽しみにしていた。
特に青の季節というドラマに夢中になった。いや、ドラマ自体は社会派のドラマで、子供には難しく、流し見だったが、そこに子役として出ていた伊織の可憐さに、幼心に電流が走るような衝撃を受け、夢中になったのだ。
世の中にこんなにも愛らしい〝少女〟がいるのかと。
〝大きくなったらいおりんと結婚する!〟などと馬鹿なことを言っており、それを言う度に、祖母は首を傾げていた。
その後、伊織が男だと気づいた時は天地がひっくり返るほどショックを受け、一度は彼のファンを辞めようかと思ったが、結局辞められないまま、この年まで密かにファンを続けている。
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