2.事故物件・前編

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自分は誓ってゲイではないが、男だと分かっていてもどうしたって可愛い。 不気味な霊や、目を背けたくなるほどグロテスクな霊が視界にひしめく狂った世界の中、TV越しに見る伊織の笑顔はまるで地獄に垂れた蜘蛛の糸のようだった。 テレビに出ていればついつい見てしまうし、伊織のユニットのLamentが雑誌の表紙を飾っていると必ず購入していた。 握手会に参加するとき、伊織に会っても恥ずかしくないようになりたいと引きこもりを辞めて、随分垢抜けたと思う。彼はまるでヒーローのように、自分の人生に大きな影響を与えてくれた。 Lamentが解散してから、近頃はめっきり目にする機会も減ってしまったが、例えモブ同然の役だろうと伊織がドラマに出ていたら全てチェックしていた。 彼の名前で検索すると、ひどい言われようをしているのが目に入る。 劣化した。飛鳥井衛士のオマケ。いつまでも芸能界にしがみついていて見苦しい。相方のように潔く引退しろ。 それらの言葉が、彼の目に留まっていないとは思えないが、それでも彼は、例えセリフ一言の役でも、出演し続けてくれている。 世間に何を言われようと、伊織が必死に批判も中傷も撥ね退けて、今でもタレントを続けていてくれることに感謝していた。もし彼が芸能界を引退してしまったら、ただのファンである自分は、一切の繋がりを絶たれてしまう。ファンにとってはテレビ・雑誌・WEB等、メディア媒体だけが、伊織を見ることが出来る唯一の窓口なのだから。 タレントもアイドルもそういうものだ。長く生き残っているのはほんの一握りで、毎日毎日目にしていたあの人やこの人の多くは、いつの間にか徐々にテレビから姿が見えなくなり、自分の生活から消えて、自然とその存在すら忘れてしまう。 彼らは今もどこかで生きているのに、目に触れる機会がなければ「消えた」と思ってしまうのだ。 人は自分の視界に入る物事しか、覚えていることは出来ない。どんなに愛した人でも、目にしなくなれば、話さなくなれば、時間の経過と共に、自分の世界からその人の存在は消えてしまう。 だからまさか、現実に伊織と接点を持てるなんて、まるで夢を見ているような気分だった。 よく、芸能人はテレビを通してよりも実際に見た方がずっと綺麗だと言われることがあるが、それは本当だった。 実物の伊織は自分よりも5つも年上とは思えない程綺麗だった。日焼けに気を付けているのかとにかく色白で一点の染みもなく、体の細部までが一部の隙もなく手入れされている。近くに寄ると、ふわりといい香りまでした。 確かにあの頃の性別不明の可憐さのようなものはなくなり、今でははっきり男性だと分かる。可愛らしさを売りにしていた伊織としては、それは致命的な変化だったのかもしれない。現に、劣化したと執拗に叩かれている。 だがそれでもやはり、彼は綺麗だった。今も尚、自分という価値を保つため、相当な努力をしているのだと思う。
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