2.事故物件・前編

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それにしても、あれほどスポットライトを浴びていた彼が、事故物件に住むなどというひどい企画に出されているとは思わなかった。 昔の彼なら絶対に引き受けなかった仕事だと思う。 自分のイメージを大事にしていて、受けることよりも、ファンが望む〝三笠伊織〟らしい反応を徹底して作り上げていた。 (それにしても〝いおりん〟と全然違ってびっくりしたな……) メディアを通して見る彼はいつでも天使のような笑顔で、綺麗な所作で、いくつになっても可憐さを前面に出していたので、まさか素の彼があんな喋り方だとは思わなかったが、不思議と幻滅はしなかった。 タレントとして、徹底的に自分のブランドを守り通していた彼のプロ意識に敬意を覚える。 現に彼は、恐怖で極限状態に追い込まれるまで、隣人の自分に対しても、TVスタッフに対しても、テレビのままの姿で接していた。 狗飼は全てのグッズをリビングの収納棚に移し終えると、ベランダに出て、そっと隣の伊織の部屋を覗いた。ドアの前には、相変わらずあの男が静かに首を吊ってぶらさがっていた。 あの霊は、狗飼が越してきてからずっとあの調子で、不気味ではあるが、住人を攻撃するようなことはなかった。マンションの管理会社からも一度調査を依頼されたが、何度調べても危険な兆候はなかった。 幽霊は人に見られることで増長する。長い間空き部屋にしておけば、そのうち自分すら自分自身の存在を忘れて消え去るだろうと言い、管理会社もそのようにしていた。 この企画の話が来るまでは。 テレビに対して怒っているのか。伊織に対して、なぜあんなに攻撃的なのか。 「……身元をよく調べてみるか」 こんなふざけた企画はやめろというのが一番ではあるが、トレンドに並んだ自分の名前を見た、今にも泣き出しそうな笑顔で喜んでいた伊織のことを思うと、複雑な思いだった。 こんな不気味なものばかりの視界ならいっそ見えなくなればいいとまで願っていた子供の頃、伊織の笑顔のおかげでまた〝見たい〟と思えた。 その笑顔をファンとしては曇らせたくなかった。
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