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返事をしないでいると、三浦は話を元に戻した。
「キリのいいところでリタイアしてもいいよ。他に仕事も来てるし」
「リタイアしたらクビだろ」
「社長も今のいおりんをクビにはしないんじゃないかなー」
「どっちにしろリタイアはしない。いつまで天下が続くか分からないしな」
消えそうな花火が最後に一瞬だけ輝きを増して散るのと同じように、自分もそうなるかもしれない。この世界の栄枯盛衰の激しさはよくわかっているから、出来るだけ仕事は多くキープしておきたいという妙な強迫観念のようなものがあった。
「そうだ。Aさんからファンレター来てなかった?」
「あー……うん。いや、来てないよ」
三浦はやたら長いこと逡巡してもごもごとそう言った。
「そっか」
落ち目の時もずっと応援し続けてくれたAさんの反応を、伊織は一番に楽しみにしていた。だが、来てないのなら仕方ない。Aさんもきっと、忙しいのだろう。
「……あ、ここで止めて」
「え、マンションまだ先でしょ?」
「ここでいい。買い物して帰るから」
今日は久しぶりに日が暮れる前に終わったから街中を見て回りたかった。
「はいはい。気を付けてよね。うちの事務所の未来、いおりんにかかってるんだから」
「分かってる。三浦もたまには休み取れよ」
伊織は車から降りるときに久しぶりに帽子を目深にかぶり直した。サングラスをして街中を歩くのは本当に久しぶりのことで、気分が変に高揚した。
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