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世間一般の大学生というのは暇なイメージがあるが、それは学部や所属しているゼミや研究室にもよるだろう。大量のレポートを書くために図書館にカンヅメになって帰ってくると、もう八時を過ぎていた。
エレベーターを上がり、7階の自分の部屋へ向かおうと歩き出し、彼の姿に気づいて驚いた。隣人であり、狗飼が長年密かにファンを続けている三笠伊織だった。
「よう、学生」
彼はアイドルらしい天使のような笑顔で片手を上げて挨拶をした。ほんの少し、顔色が悪い気がするのは、廊下の明かりの具合のせいだろうか。
彼は手には買い物袋を提げていた。
「……今日はどうしました? また幽霊に襲われました?」
生配信中に幽霊に襲われたところを助けて以来、時折伊織は狗飼の部屋を訪ねてくるようになった。逆に招かれることもある。特に幽霊についての相談という訳でもなく、小一時間、狗飼の大学生活の近況を聞いたり、彼自身の最近の仕事の売れっぷりの自慢を聞いて終わるだけだ。
彼は長い間業界に頂け会ってとても話をするのが上手く、口数の少ない狗飼でも、質問されるとついあれこれと答えてしまう。キャンパスライフの話を楽しそうに聞く伊織の笑顔は眩しく、正直、とても幸せな時間だ。
が、一方で困ってもいた。
狗飼は、この先もずっと伊織の「ファン」でいたいと思っている。
彼の部屋の霊については調べるつもりだ。それに関する相談ならいくらでも乗る。
だが、プライベートにはこれ以上踏み込まず、一定の距離を保った付き合い方をしたいという複雑なファン心理があった。
何とも言えない複雑な顔で、部屋のキーを差し込むと、伊織は買い物袋を掲げた。
「荒れた食生活をしてる学生に、現役売れっ子タレント様が健康と美容に良い夕飯を作ってやろうと思ってさ」
「…………」
手料理までご馳走になる関係になったら、いよいよファンから友達になってしまうのではないかと思ったが、いずれにしろ今日はあの霊のことで伊織に話さなければならないことがある。
そんなことを考えながら逡巡していると、伊織はほんの一瞬、寂しそうな顔をして手にしていた袋を下げた。
「なんだよ~もう食ってきたのか? ったく。じゃあまた今度な」
そう言って去ろうとする伊織の細い肩に手をかけた。
「食ってないです。ご馳走になります。……話もあるんで」
彼はどこか安堵したような、そしてとても嬉しそうに「しょーがねーな」と笑った。
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