2.事故物件・前編

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◼︎ 向こうから一方的に押しかけられたとはいえ、何もしないのもどうかと思い、(ラーメンぐらいしか作れないが)何か手伝おうかと聞いたが、「男子厨房に入るべからず」と訳の分からないことを言われて追い払われてしまった。 仕方なくシャワーを浴びてレポートの手直しをしていると、「おい飯だぞ!」と呼ばれてダイニングへと入り、息をのんだ。 伊織が、エプロン姿に両手にミトンを嵌めて、小さな土鍋を手にしている。 (なんだこれ、夢か……) 推しアイドルと突然新婚生活をしたらというドッキリ企画かと思ってしまうような幸せな光景だったが、「冷めるからボーッとしてねーでさっさと席につけ」という一喝で現実に引き戻された。 テーブルの上にずらりと並んだ彩りの良い食事を見て、驚いた。きのこの炊き込みご飯に豚の生姜焼きに味噌汁、サラダ、おひたしなど、数々が彩りよくずらっと並んでいた。土鍋の中には、炊き込みご飯が湯気を立てている。 「すごいですね」 思わず直な称賛が零れると、伊織はシンプルなエプロン姿のままひどく得意げに胸を張って言った。 「歌って踊れるだけじゃなくて、いざって言うときになんでもこなせるようにしておかないとな。業界で出来ませんは通用しないんだ」 「はは、大変っすね」 「芸は身を助けるんだぞ。覚えとけよ学生。……で、どーだ? 美味いか? 美味いだろ」 推しているアイドルの手料理を食べられる学生など、世界中を探しても自分しかいないと思う。内心激しく緊張し、箸を持つ手が震えていたが、その感動を味わう間もなく伊織が感想をせっついてくる。 美味いって言えと言わんばかりの笑顔の圧力に押されるように頷いたが、実際にそれはとても美味かった。 特別変わった味とか、凝った味とかそういう物ではないが、毎日食べたいと思わせる家庭の味だった。なぜか幼い頃、祖母が作ってくれた料理を思い出した。 あまりの美味さと感動で、さらなる称賛をしつこく求めてくる伊織を半ば無視しながら思わず一気に食べてお代わりまですると、伊織は少し驚いた顔をした後、少し顔を赤くして、「そんなに美味いかー」と嬉しそうに笑っていた。
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