2.事故物件・前編

26/34

624人が本棚に入れています
本棚に追加
/95ページ
伊織には近所の一番有名なケーキ屋のケーキを買って来いと命令されたが、残念ながら10時近くではどこのケーキ屋も閉店しており、結局コンビニのスイーツコーナーで買ってきた。 伊織は気の進まない様子でそれを口にしたが、一口食べるとパアッと顔を輝かせた。 「えっ、美味い!」 「コンビニのケーキかよって散々文句言ってたじゃないですか」 「…………」 プラスチックスプーンをくわえたまま、ぷいっと首を横に向ける仕草は自分より年上とは思えない。 (小学生並にワガママだなこの人…) テレビの中では子役の時から聞き分けよく大人顔向けの気遣いを見せていたから、同一人物とは思なかった。正直、同じ名前の別人にすら思える。 伊織はカップケーキを食べ終えると、その空の容器をじっと見つめて、横柄に、だがどこか緊張気味にモゴモゴと切り出した。 「……お前どうせ三食コンビニ弁当とかなんだろ。これからも、……その、たまに飯作ってやるよ」 「え?」 「俺も暇じゃないけど、今度の役作りのために、お前のその生意気な態度を参考にすることにしたから。そのついでに飯ぐらい作ってやる」 「役作り? え、三笠さんドラマに出るんですか?」 伊織は「まだ言えないけど」と言いながら自慢げにフフンと笑った。嬉しくて嬉しくて仕方ないという様子だ。 「言っとくけどモブ役じゃないから。すげーセリフ量だし。これからクソ忙しいけど、役作りの一環だから、たまにはお前の面倒も見てやるよ」 「……どんな役で俺を参考にするのか分かりませんけど、……ありがとうございます」 強がってはいるが、彼はあの部屋に一人でいるのが怖いのだ。 実家や友達の家に身を寄せるのが双方にとってベストだと思うが、「ヤラセ」状態になることを恐れている彼があくまで律儀にあの部屋に住み続けるつもりなら、恐怖を感じたときは気にせずいつでもきて欲しい。 だが、これ以上距離を縮めたくない複雑なファン心理が邪魔をして、少し歯切れの悪い返事になると、それを敏感に感じ取ったらしい伊織が微かに顔を曇らせたので狗飼は慌てて言った。 「三笠さんのご飯、また食べたいです。いつでも来てください」 「しょーがねーな」 そう言って安心したように笑う彼の顔があまりに心細そうで、合鍵を渡して半分ルームシェアのような生活を真剣に提案するべきかと思った。 あの霊の問題を解決するまでの間。無事解決したらその後自分は引っ越しをして、一ファンに戻ろう。 (とりあえず、あのファングッズ、どこかに預かってもらうか……) 狗飼はさしあたっての懸念事項にこめかみを押さえた。
/95ページ

最初のコメントを投稿しよう!

624人が本棚に入れています
本棚に追加