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伊織の元に番組出演のオファーが来たのはかなりギリギリになってのことだったが、ディレクターは最初から佐伯だったはずだ。
「前のDは、あの部屋の下見に行ったときに首吊り死体の霊を見て、ちょっとおかしくなっちゃって……〝この部屋にいると死にたくなってくる〟って言ってそのまま会社に来なくなって……それで佐伯Dが交代したんだよ」
「…………」
死にたくなってくる、という言葉に伊織はゾクッと肩を震わせた。
「心配した上の人が部屋に行ったけど全然出てこなくて。これはあくまで噂だけど……死んじゃったっていう噂もあるの」
「えっ」
「だからさぁ、いおりんも撮影の時以外は実家とか友達の家とかで暮らした方がいいよ~そこまで体張ることないって」
凍り付いている伊織に、明るく新井は言い、それから少しして、本題と言わんばかりに切り出した。
「あたし実はLamentのファンでぇ~今もCD全部持ってるんだ」
「え、そうだったんですか?」
「そうなのー。で、衛士元気にしてる?」
やっぱり衛士のファンかと、伊織は内心不貞腐れたが、億尾にも出さずにニコニコと頷いた。
「たまにLIMEが来るぐらいですけど、元気そうですよ~」
「えー、会ったりしないの? やっぱり不仲説ってほんとだったの?」
伊織は苦笑した。仲は良かった。子供の頃から事務所でよく顔を合わせていたし、幼馴染のようなもので、ケンカもほとんどなく、伊織が一方的によく腹を立てていたが、それもすぐに仲直りしていた。今も、伊織が勝手に絶好宣言をしているだけで、向こうは喧嘩をしているつもりなど一切ないのだ。
「そっか。良かったぁー。一切メディアに出てこないから心配しちゃった。衛士って変な噂多いじゃん? クスリやってるとか……今もあまりに目撃情報ないから失踪疑惑とか海外に行ってるとか言われてるし」
「スパッと芸能界やめちゃいましたからねぇ」
──さっさと忘れられたい
この場所にしがみついている伊織と対照的に、衛士はそう言って退所した。
(そっか。衛士のファンは、多分もう一生、衛士が元気かどうかも分からないんだな)
目撃情報が無ければ、彼らの元に一切の情報が届くことはなく、何も分からないのだ。
生きているのか死んでいるのかさえも。
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