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番組の降板について、キリのいいタイミングで申し入れをして貰うことになり、伊織は自宅のマンションに戻ってきた。
エントランスホールに入ると、すでに重い空気が漂っているような気がした。
──もうすぐ死んじゃうの、怖くないの?
囁くような子供の声。「死ぬぞ」という警告文。
思い出すと足が竦むが、他に帰る場所はない。
704号室に辿り着き、ためらいがちに鍵を回し明かりをつけてから恐々と足を踏み入れようとしたが、その時不意に背後に人影を感じた。
振り向くよりも素早く、後ろから片腕で羽交い絞めにされ、大きな手で口を塞がれた。
(!?)
そのまま部屋の中に押し入られ、ドアを閉められると、ようやく口を塞いでいた手が外される。
振り返った先に立っていたのは隣人の狗飼で、伊織は目を見開いた。
彼は、推し入ってきたにも関わらずなぜか唖然とした顔をして伊織の肩を掴むと、真剣な顔で言った。
「こ、こんな簡単に部屋に入れるとか……もっと背後気を付けてくださいよ! レイプ魔に押し入られたらどうするんですか? これじゃ簡単にヤれちゃうじゃないですか!」
「お前が押し入りだろーが!! 何考えてんだ!」
バクバクと鳴る心臓を押さえながらそう抗議すると、狗飼はさすがにバツの悪い顔をした。
「手荒なマネしてすみません。普通に話しかけても無視されると思って……」
「……」
昨日から、インターフォンを何度鳴らされても無視していた。朝もゴミ出しのタイミングで待ち伏せされていたが、何を話しかけられても完全にだんまりを決め込んでいた。
「だからって……もう少しで警察呼ぶところだったぞ。やることが過激すぎんだろーが。……で、何の用だよ」
部屋に入られてしまっては追い出せないが、一刻も早く帰ってほしくて、伊織は玄関先で立ったまま話を促した。
「昨日は本当に、すみませんでした。あいつ泥酔状態で……全部出たらめなので気にしないでください」
「……全部? 俺のファンだったってこと? 劣化したからファン辞めたってこと? 両方?」
狗飼は、おそらく無意識にだろう。ほんの一瞬躊躇した後に、きっぱり言った。
「……はい、両方です。俺はあなたの、ただの隣人です」
あの時の狗飼の動揺ぶりを思い出すと、それは嘘だろうと手をギュッと握りしめた。
「……そっか。別に気にしてないのに。そんなことのためにわざわざ押し入ってきたのか?」
「いいえ。もう一つあります」
「?」
狗飼は薄暗い廊下の奥を見つめた。釣られて伊織もそちらを見ると、朝は確かに閉まっていたはずのリビングへと続く扉が開け放たれていて、だらりとぶら下がった縊死体の足が見えた。
だが、いつもと違うのは死体がこちらを向いている。
白濁とした目はいつも伏せられて床を見つめていたが、今日ははっきりと伊織を見つめていた。怒りのような強い感情を剥き出しにして、目を見開き、睨むようにこちらを見ている。
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