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その異様な姿に、思わず悲鳴を上げて後ずさり、眩暈のようなふらつきを覚えると、狗飼が咄嗟に抱き止めてくれた。震えが止まらず、その肩に顔を埋めて「怖い、怖い」と呟くと、ぎこちなく狗飼が抱き止めている腕に力を込める。
「もう消えましたから、大丈夫ですよ。でも、あの霊は段々変質していってる。このままここに住むのは危険だ。顔色も悪いですし、もう限界でしょう。それでその……もし行き場所がないなら……」
狗飼はそう言って、震え続ける伊織を抱きしめたまま、胸ポケットから何かを取り出し、伊織の手に握らせた。
「……何、これ、鍵?」
「俺の部屋の鍵です。あの霊の問題が解決するまで、一緒に暮らしませんか?」
「え……?」
「研究とバイトが忙しいので留守がちではありますが、俺の部屋には地縛霊とかいないんで。俺に憑いてる強烈なのはいますけど、基本俺の後を追ってくるので、留守中に三笠さんの前に現れることはありません」
「なんで……」
なぜ、ただの隣人に合い鍵など渡すのか。母親ですら、伊織が家を訪れることを拒否していたのに。
信じられない思いで、狗飼の顔を見上げると、彼は低く呻き顔を逸らした。そこでようやく、自分が彼に抱き着いたままなことに気づいて慌てて体を離した。
(そんな露骨に嫌がらなくてもいいだろ……)
黒歴史、という言葉を思い出して伊織は僅かに俯いた。
「あの霊の問題が解決するまでですよ。無言の霊なので、手がかりが少なく、時間かかりますが、今月中にはどうにかしますから……」
狗飼の申し出は、涙が出るほどありがたい。もうこの部屋で暮らすのは限界だった。だが、伊織はしばらく黙り込んだ後、首を横に振り、鍵を狗飼の手に返した。
「いい。……やばいときはマネージャーの家に泊めてもらうから。子供の頃から世話になってるし、昔から時々泊めて貰ってたし。今日も荷物だけ取って、マネージャーん家泊まる。だからこれはいらない」
この部屋にこれ以上一人でいるのは怖い。
だが、それ以上に、狗飼が昔の伊織のファンだったというのが本当なら、今の自分の姿をこれ以上見られたくなかった。
顔を燃やされたポスターを思い出すと、死んだ人間に、あそこまでされるほど何もかも劣化してしまった今の自分がひどく恥ずかしく思えてならなかった。
(これ以上黒歴史なんて、思われてたまるか)
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