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くだらない意地だと分かっている。きっと狗飼が帰った後、この部屋で死ぬほど後悔するだろう。
だが伊織にとって、ファンに、自分のファンだったことを後悔されること以上に耐えがたいことはない。
狗飼とはこのまま距離を置き、かつて彼がファンとして愛してくれていた「三笠伊織」をこれ以上壊さないようにしたかった。
狗飼は突き返された合鍵を見つめて黙り込んでいたが、やがて言った。
「他に安心していられる場所があるなら、良かったです。色々余計なことをすみません。若宮の霊については、引き続き俺の方でも調べてみます」
「……ああ、ありがとな」
尚も何か言いたげな狗飼を半ば追い出すように部屋から送り出すと、一人きりになった部屋で、伊織は重くのしかかるような後悔に苛まれながらリビングへと続くドアを睨んだ。
そこにはもう、誰もぶら下がっていない。だが、未だに強い視線を感じていた。
「マサくん、俺、この企画降りる。今度ディレクターに話してみる。すぐに次の部屋も探す。あと少しだから……我慢してくれ。今の俺の姿が許せないなら、見なきゃいいだろ」
懇願するように言うと、ビリビリと感じていた視線がようやく外された気がした。
その夜、伊織は明日の仕事の確認を全て済ませると、睡眠薬を飲んでベッドに入った。
とてもそのままでは寝付けそうになく、かといって、今日も徹夜ではカメラ映りに響く。タレントは、自分自身が商品だ。眠れないなら眠るための方法を考えなければならない。
ネットカフェに泊まるという手もあるが、そんなところを週刊誌に撮られても面倒だし、どうしても「事故物件に住む」という仕事をしている以上、視聴者に嘘を吐くことには抵抗がある。
正式に番組を降りるまでの短い間ぐらい、なんとかここで我慢しなければならない。
(所詮あいつは幽霊だ。幽霊が殺しなんて出来ない。〝呼ばれて〟死にたくなるほど、俺は弱くないし)
伊織はダイニングルームから一番大きな皿を持ってくると、大量に塩を盛り付け、寝室の前に置いた。
目覚まし時計は止まる可能性があるため、スマホのアラームと、タブレットのアラームを両方かけることにした。
(何もかも忘れて、とにかく寝なきゃ……仕事に集中するんだ)
無理やりにでも眠って、他の時間は仕事に没頭していれば、恐怖も忘れる。とにかく、今は貰っている仕事を完璧にこなさなければ、またすぐに干されてしまう。
(仕事がんばって……〝今の俺〟のファンを増やすんだ。見てろよ狗飼。俺のファン辞めたこと、いつか絶対後悔させてやるからな)
睡眠薬の効果は抜群で、伊織はその晩、久しぶりに不安も焦りも恐怖も忘れて夢も見ず、気絶するように朝まで眠った。
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