3.事故物件・中編

18/28

624人が本棚に入れています
本棚に追加
/95ページ
■ どうやって家に帰ったのか分からない。頭は依然としてぼんやりとしている。 部屋のドアを開けると、電気の付いていないはずの室内は妙に明るかった。 リビングのドアは開け放たれていて、その奥が眩しい光に満ちている。 伊織はその光の方にそっと近づいていった。その光は、強いスポットライトの光だった。 いつのまにか伊織は広いステージの上に立っていて、目の前には人、人、人。 大勢の人が伊織にむかって歓声を上げ、何か叫んでいる。 「懐かしいなあ」 この光を、この歓声を、どうにかもう一度だけ浴びたいと思っていた。 華やかなステージの中央には天井から吊り下がったロープの輪がぶら下がり、その下には椅子が置いてある。 伊織はそのロープの輪に向かって吸い寄せられるようにゆっくりと歩いて行った。 見上げると、広大なステージの上には大きなモニターがいくつもあり、そこには様々なニュースが流れていたが、速報の音と共に一斉に同じニュースが報じられた。 ──速報! 三笠伊織さん 自宅で死亡。警察は自殺と見て捜査 ──元人気子役タレントで、アイドルユニットLamentの元メンバー三笠伊織さんが自宅で首を吊った状態で亡くなりました。争った形跡はなく、警察は自殺と見て捜査しています ──「いおりん 自殺 事故物件」「いおりん 自殺 なぜ」 SNSのトレンドも、テレビのワイドショーも、伊織が埋め尽くし、日本中が伊織に注目していた。 昔ファンだった人も、とっくに伊織のことを忘れていた人も、伊織のことを知らない人も皆、悼み、悲しみ、偲んでくれている。 誰一人として、伊織の容姿を劣化したなどと貶める人もいなかった。 そんな光景が映し出されているのを眺めているうちに、音もなく、頬に涙が伝っていく。 ずっと長い間彷徨って、探し求めていた答えを見つけたような気がした。 ──いおりんの笑顔は、一生忘れません。たくさんの元気をありがとう 「そっか……。今死んだら、みんな俺のこと、忘れないでくれるのか」 それは伊織にとって、とても甘美な誘いに思えた。 なんだかひどく疲れていた。 歓声に促されるようにフラフラと椅子に上り、ロープの輪に首を通そうとした。歓声が、割れんばかりに大きくなる。
/95ページ

最初のコメントを投稿しよう!

624人が本棚に入れています
本棚に追加