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それに気づいたとき、部屋のどこからか低く不気味な笑い声が聞こえてきた。
伊織は弾かれたように立ち上がり、そのまま部屋の外に走り出た。
ひとまずここを離れようと、非常階段を駆け下りて、エントランスホールを飛び出す。
外に出ると、通りは道行く人々で賑わっていて、その喧噪に悪い夢から目覚めていくような気がして、伊織は少しだけほっとした。
(マサくん……ごめん、ずっと誤解してて)
伊織の手を握りしめた両手の冷たさが、今でも残っている気がする。氷のように冷たかったのに、なぜかとても温かく感じた。
〝何か〟を突き止めたら、若宮にはたくさんファンサをして、そしてやはり一度、きちんと彼を供養をしてもらおうと思った。
どうしても寂しくて、あの場を離れられないなら、彼の気が済むまで、一緒に暮らしてもいい。
だが今のままでは、あの部屋には戻れない。あの場所には若宮以外の何かがいる。そしてソレは間違いなく伊織に対する悪意に満ちていた。
狗飼とは距離を起こうと決めていたが、今はただ、この得体の知れない恐怖を彼に相談したかった。
ひとまず、カフェにでも入って状況を整理しようと考えていると、ズボンのポケットに入れたままにしていたスマホが鳴った。
ADの新井からだった。
「あ、もしもしいおりん? あたしー。佐伯Dがまた次の生配信の時、部屋に仕掛け入れたいって言うんだけどさ、仕掛けを作る関係で、美術班がいおりんの部屋のサイズ知りたいっていうんだけど時間あるとき計っておいて貰えるかな? あの幽霊が出る部屋のドアから、仕掛けを入れるクローゼットのとこまでの長さの測定お願いしまーす」
電話越しに聞こえてくる底抜けに明るい声に、伊織は急に現実に引き戻されたような気持ちになって、少し戸惑った。
「は、はい。分かりました。測っておきますね」
「よかったー。ありがと! それじゃあ……」
「あの、新井さん」
「何?」
「佐伯Dの前に事故物件企画を担当されてて、辞めちゃったっていうディレクターさんのお名前と、一応連絡先伺えます? ちょっと、あの部屋のことで話を聞きたくて……」
〝あの部屋にいると死にたくなってくる〟
そう言って、前のDは番組の担当を外れたらしい。それからも体調を崩して退社にまで追い込まれ、死んだという噂まである。
だが、若宮の霊がそんな風に人を追い詰めるとはとても思えない。
連絡が取れたとしても話せる状態ではなさそうだが、少しでもヒントが欲しかった。
「オッケー。音信不通で行方不明だから電話しても出ないと思うけど……元はキー局にいたし昔から色んな番組作ってるから、いおりんも知ってるかもー。四ノ宮Dって番組で関わったことあるかな?」
「え……」
指先が急速に冷えていく。
「あれっ、いおりん、いおりーん!?」
カシャン、と音がした。
それが自分の冷たい手から滑り落ちたスマホの音だと気づかないほど、伊織は呆然として立ち尽くしていた。
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