2.事故物件・前編

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胸がざわついた。あの小さかった事務所に、巨大な利益をもたらして成長させたのは誰だと思っているのか。 爆発的に売れた子役時代、大きな事務所からいくつも声がかかったが、色々世話になった事務所だからと恩義を貫いて移籍はしなかった。それなのに、あんまりだ。 「多分伊織くんのためでもあると思うんだよ。今ならまだ、人生やり直し利くからさ」 「………」 今更どんなやり直しが利くというのだろう。7歳の時からろくに学校にも通わず大人ばかりを相手にし、タレントとして人格を作り上げてきた。一般常識なんて何もないし、素顔の自分を愛してくれる人もいない。 今更どこに戻れると言うのか。そう思っていると、佐伯が再び耳元に顔を寄せた。 「それか……俺が今後も伊織くん使いまくるからって事務所に口利きしてあげてもいいけど。どうする? 今夜」 そう言って意味ありげな手つきで佐伯は伊織の背中を撫でた。ゾッとする手つきで、先ほど「現場」で撮影したときの何倍もの寒気がした。 「……大丈夫です。俺、絶対この企画リタイアしないんで」 すると佐伯ディレクターの顔が怒りに歪み、しまったと思ったが、その時、「あのーどいてくれますか?」と若い男性の声がした。 おそらく隣人だろう。 日本一の大学である『帝都大学』の印字が入ったキャンパスバッグを持っていた。 明るい髪色に、ハーフを思わせるような整った顔立ち、すらりとした長身のスタイル。幼い頃から芸能界でイケメン慣れしてきた伊織でもハッとするような美形だった。
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