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「マ、……エ……ノ……ジュ……ニ、ン……タス……ケテ……イオ………タス、ケ……」
伊織を助けて。
それだけを、若宮は繰り返し続けた。
「前の……住人?」
狗飼は、伊織が入居する前に、何人かの人間がここに入居し、そして皆、幽霊を見たからと半月足らずで出て行ったことを思い出した。
最後に入居していたのは、伊織に絡んでいたあの佐伯ディレクターと同じぐらいの、30代前半ぐらいの男だった。不規則な仕事をしているようで、ほとんど顔を合わせたことはなかった。
狗飼は、ハッとして管理会社に電話をかけた。
「あの、704号室の三笠ですが、……一つお聞きしたいことがありまして」
どう考えても声が違うと怪しまれるかと思ったが、特に何か言われることもなく、応対された。
『はい、いかがされました?』
「この部屋って引っ越しの時、鍵交換されてますか?」
このマンションは、トラブル防止のため、入居の際、原則入居者負担で鍵交換を行うことになっている。
狗飼も当然、入居の際は鍵交換を行っていた。
前の住人が合い鍵を密かに作成していたら、退去後も自分の部屋に入れてしまうなど、不用心すぎるからだ。
退去の際に鍵は原則返却するし、合い鍵を作る際も、必ず管理会社に届け出をしなければならないが、隠れて作ろうと思えば作れないことはない。
セキュリティ機能の高い鍵のため、交換には2万円程したが、防犯には代えられない。
伊織は、あの部屋に入居した際、敷金礼金や、その他引っ越しにかかる初期費用は番組側が全て負担してくれたと言っていた。
鍵交換費用も、番組が負担したはずだ。
『いえ、しておりません。テレビの企画で入居されていますよね? 予算の関係で鍵交換は無しにして欲しいと強く交渉されまして。ご存じの通りの物件ですし、企画書や予算書も見せて頂いて、そういう事情ならと……』
「……その交渉をしたのは、佐伯というディレクターですか?」
『いえ、その前の番組ご担当者様の……704号室に住まわれていた四ノ宮様です。退去後も、自分の番組の企画で再びこの部屋を使わせて貰うからと……』
「…………」
四ノ宮という男が伊織とどういう関係だったのかは分からないが、もしその男が合い鍵を作っていたら、何食わぬ顔で出入りすることが出来る。
盗聴器や無言電話で、家にいるかどうかの確認をして、留守の時を狙って侵入していたのか。
この部屋に住んでいたのなら、若宮の霊が出ることも知っているはずだ。
事故物件の企画として入居し、若宮の霊を見ていた伊織は、この部屋で不可解な事や、不気味なことが起こっても、その全てを霊の仕業だと思っていただろう。
伊織の部屋に上がり込み、幽霊の振りをして少しずつ精神的に追い詰めていたのだとしたら気が狂っているとしか思えない。
とにかく、早いところ伊織に、四ノ宮という男について聞かなければならない。
その時、部屋のインターフォンが鳴った。
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