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伊織はそれからも四ノ宮と関わることを止めなかった。その時の伊織にとって、四ノ宮の甘い言葉は麻薬のような中毒性があったのだ。
それでも衛士が言っていたことは頭の片隅にあり、念のため昼間のランチなど、人目がある場所でのみ会うようにして、車で家まで送ると言われても、当たり障りなく理由を付けて断るようにしていた。
だがあの日。
昼食に誘われた時、食後異様な気持ち悪さに見舞われた。
本当に強烈な嘔気で、店を出ると、目の前がぐるぐると周り、立っているのすら危うい程になった。
『大丈夫?』としきりに心配され、病院に行こうと言われ頷き、促されるまま車に乗り込んだ。
そして、目が覚めた時は薄暗い部屋にいた。
伊織は最初、そこがどこかの撮影現場かと思った。映像機材が並び、ライトが当てられていたからだ。
『大丈夫?』
四ノ宮に覗き込まれ、ようやく昼食後体調を崩したことを思い出した。
『あの、すみません……俺』
頭がまだ、ガンガンとしていて、目の前が二重に見える。肩がギシギシと痛み、身じろぎしようと思っても、金縛りにあったように動かない。
『ここは……病院、ですか?』
痺れた唇をなんとか動かし、そう絞り出した時、伊織はようやく状況の異様さに気づいた。
衣類を一切身に着けておらず、手が後ろ手に縛られていたのだ。
「なに……っ」
悪い夢を見ているのかと思ったが、身じろぎすると生々しく縄が手首に食い込む痛みがある。
四ノ宮は楽しそうに、もがく伊織の姿を眺めていた。
『何かのドッキリか何かですか?』
祈るような気持ちで笑いながら言ったが、四ノ宮はそれに答えず、「伊織を初めて見た時、こんなに可憐な子がいるのかって感動したんだ」と嘆息しながら伊織の体に触れた。その触れ方は明らかに性的な意図を持った触れ方で、全身が粟立つような嫌悪感に、伊織は激しく身を捩った。
『なっ、何の真似ですか、やめてください!』
『うるさいなぁ。黙ってろよ。売り物の顔刻まれたい?』
ナイフを向けられ、伊織は硬直した。そこでようやく、自分が置かれた状況の全てがすとんと落ちて来た。
頭の中で、衛士の警告が一瞬にして駆け巡る。
──何人かシャブ漬けにされたとか、ダークウェブに落ち目のアイドルのマジでアウトな動画撮って流してるとか色々
(そんな……四ノ宮さん、嘘だ)
『はは、人形みたいに動かなくなっちゃったな』
押し当てられたナイフに、恐怖を覚えて固まっていると、四ノ宮は笑いながら伊織の肌を撫で回し、『綺麗だね』と囁いた。
『俺の言葉真に受けて、尻尾振って馬鹿だなぁ。とっくに旬もすぎてるのに、本当に、看板番組持たせて貰えると思ってたの?』
『………』
『無理だよ。伊織はもう終わりなんだから』
『し、四ノ宮さん……今の俺も、魅力的だ、って……そう言ってくれたじゃないですか』
その言葉に、どれだけ励まされただろう。恐怖と混乱で声を震わせながら言った。
『そう、伊織は今も綺麗だよ。だけど、それも今が最後だ』
四ノ宮は手、足、肩、と一つ一つ確かめるように伊織の体に触れていった。
『……ほら見て、手も足も、全体的に骨ばってきてるだろう。喉ぼとけも醜く出て、昔のあの可憐な声はもう出せない。これから君はどんどん成長して、その美貌は失われて崩れてく。俺は伊織の、そんな姿を見たくない。これ以上は許せない。俺だけじゃない。みんなもだ。テレビも動画も、みんな見たいものを見る。見たいと思ってもらうように作る。見たくないと思われるようになったら終わりなんだ。君はもう、潮時だ。だから、この撮影で最後にしよう。最後に味合わせてくれよ』
四ノ宮はそう言って、伊織の耳元で囁いた。
『大丈夫、ちゃんと綺麗に撮る。モザイク無しで、裏サイトに上げるんだ。みんなが伊織の1番綺麗な姿を見るよ。……この動画が出回ったら、伊織はアイドルとして、もうおしまいだな』
体が急速に冷えていく。そうやって、これまで色々なアイドルの尊厳を踏み躙ってきたのだろうか。
四ノ宮はカメラを青ざめた伊織に向けた。
『本当は、〝それ用〟の撮影スタッフを揃えてもよかったんだけど。でも伊織は特別だから……全部、俺がやりたかったんだ』
無機質なカメラのレンズが、まるで強い視線のように肌に刺さるが、伊織は抵抗一つ出来なかった。
先ほど飲まされた薬のせいか、まだ目の前がぐるぐると回っている。
カメラが何重にもブレて見え、たくさんの視線が自分を見て嘲笑っているように見えた。
覆いかぶさる四ノ宮の顔を虚ろに見つめて、伊織は意識を失った。
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