4.事故物件・後編

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飛鳥井はそこで初めて、これまでの飄々とした表情を崩し、驚きに目を見開いた。 「え? 君伊織の知り合い? あ、まさか新しい相方とか? へー。伊織相変わらず面食いだなー」 「ただの隣人です。今、三笠さんとは連絡が取れない状態で……彼を探しています。三笠さんには質の悪い強烈なストーカーが憑いていて、危険な状態です」 そう言って、簡単にここに来た経緯を説明すると、飛鳥井は、まるで遭難者がようやく救助船を見つけたというように、心底安堵した顔で瞼を震わせた。 「……伊織を助けてくれ。頼む。あのクソ野郎、伊織を本気で殺す気なんだ。……俺はもう、伊織を守ることも、手を引いて逃がすこともできないから」 死ぬってこういうことなんだと、飛鳥井は乾いた笑いと一緒に呟いた。 「……四ノ宮の、居場所は?」 「伊織の部屋にいないんなら、多分……俺が死んだ場所。立川にある、Sホールっていう廃劇場だ」 「ということは、あなたは四ノ宮に……?」 側頭部の傷痕を見つめながら聞くと、飛鳥井は苦笑気味に言った。 「怖気づいちゃった? あーでも、あいつマジでヤバいから。クスリで頭ラリってんだよね。それでも伊織を助けに行ってくれるっていうなら、護身用のナイフ、持ってった方がいいよ」 詳しい話を聞きたかったが、今はとにかく、伊織を助ける方が先だ。急いでSホールに向かおうとすると、飛鳥井に「待て」と呼び止められた。 「俺も一緒に行きたいけど、短時間しかここを離れられないから……最後に行く」 「最後?」 その表現に、狗飼は怪訝に首を傾げた。 「……それから、俺が死んだってこと、伊織には……っつーか、誰にも言うなよ」 「なぜ……あなたが四ノ宮に殺されたなら、法の裁きを受けるべきだ」 「階段から突き落とされただけだから、不慮の事故扱いになって、せいぜい死体遺棄ぐらいじゃないか? あいつはそういう細工だけは得意だから。それで、すぐまた刑務所から出て、伊織を付け狙いにくる。ずっとその繰り返しだ。それに、ヤツが法の裁きを受けたら、伊織が知らなくていいことまで知っちゃうからなー。せっかく助けても、伊織、マジで死んじゃうかもしれない。それでもいいなら言えよ」 脅すようにそう言った後、ゾッとする程冷たい目で、飛鳥井は言った。 「大丈夫。あいつは俺が殺す。地獄の底まで、一緒に引きずり込む。伊織の秘密も地獄までもっていって、何もなかったことにするんだ。生ぬるい法の裁きなんか受けさせない。ああいう奴は何度でも繰り返すんだ」 幽霊である彼に、果たしてそのようなことが出来るだろうか。「取り殺す」という言葉があるように、確かに長期に渡る霊障によって、健康な人間が、心を病み、越えてはいけない死の線を越えてしまうことはある。それには長い時間を要するし、四ノ宮に効くとは思えなかった。 だが、その鬼気迫る表情には、すさまじい憎悪と覚悟があり、狗飼はただ、黙って頷いた。 霊は誰しも、自分が供養されることを願う。事件に巻き込まれて死に、人知れず山中に埋められた遺体の霊は、皆、誰か見つけて供養してくれないかと山中を彷徨っている。 それを放棄してまで、彼が守りたい伊織の〝秘密〟とはなんだろうか。 その秘密に触れたら、自分自身も彼の感情に、危険なほどにシンクロしてしまうかもしれないと思った。
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