626人が本棚に入れています
本棚に追加
伊織の隣人だという男は狗飼と名乗った。
彼は、衛士から四ノ宮の居場所と思われる場所を聞き出すと、すぐにスマホで位置を特定し、階段を駆け下りていった。
風のように走るその後ろ姿を見つながら衛士は思った。
あれが生きているということだ。
子供の頃から長いこと、カメラに追われる生活を続けていて、どこに行っても記者が見張っていることに辟易し、「透明人間になれたら」と思っていたことがある。
今になってその願いが叶ったが、思っていたよりも良いものではなかった。
助けたい人がいても助けられない。誰かに助けて貰うように頼みたくても、頼めない。
人から見えない・認知されないというのは、こういうことだ。
注目をされればされるほど、煩わしい事が増える代わりに、助けてくれる人も増える。
生きているうちにもっと、それを活かせればよかったと、不毛な後悔をしている。
このスタジオは、Lament初のシングルCDのジャケットを撮るときに使った場所だった。
芸能界を嫌っていた自分が、死んだ後こんな場所に縛られることになるとは随分と皮肉なものだと思う。
■
母が今、どこで何をしているのかは知らないが、衛士が子供の頃は、彼女はとある反社会勢力に属する男の愛人をしていた。
母はとにかく目立つことが好きな人で、そのためなら善悪は重視しない。
周りからどう思われるかも気にせず、まだ6歳の衛士の髪を金色に近い髪に染め、ピアスを空けて喜んでいた。
『えーくん、やばい、かっこいいよ~~』
当然まだ年端もいかない子供がそんな恰好をさせられていれば、どこでも注目の的だ。もちろん、悪い意味で。だが、母にとって善悪はどうでもいい。とにかくただ、自分の息子が目立ちさえすればよかった。
──見ちゃダメ。関わっちゃダメ
同級生の母親たちは、自分の子供達に衛士に近づかないように教え込んでいた。
別に誰にどう思われようと気になどしていなかった。母は情緒不安定なところがあって、拒絶をするとヒステリックに泣かれるのが面倒だったから受け入れていた。
だが、心のどこかで、少しは気にしていたのかもしれない。短い人生だったが、結局死ぬまで人から注目されることが苦手だった。
母の愛人の男は、時折家にやってきては衛士の目の前で平気で母とセックスし、それが終わると、自分が属している組織でのことを酒を飲みながら大声で自慢げに話した。
子供が聞くような話ではなかったと思うが、衛士は10歳になる頃には、この愛人の話を通じて、世界の汚い部分の全てを知り尽くしていた。
そして気づいた。
この世界は悪意で満ちていて、人間が誰しもが持っている欲求やだらしなさに付け込み、隙あらば毟り取ろうとする奴らがいる。
芸能界など、その縮図そのものだった。売るものは、商品ではなく、自分自身。顔、体、性格、特徴、プライベート……etc.
注目されたい人間の心に焚きつけてカメラの前に立たせ芸をさせ、稼げなくなったら使い捨てられる残酷な世界。
そしてその先には、母の愛人のような社会悪達が手ぐすね引いて待ち構えていて、心の隙間に付け入って違法薬物を売りつけに来る。
まだ本人がそれを承知で納得しているならいいが、子供や若者など、親に無理やり入れられた者達は気付いていない者が多かった。
そういったことを全て知ると同時に、衛士は母親が自分を全く愛していないということにも気づいた。
もし本当に、少しでも愛いていたら考えるはずだ。こんな格好を無理やりさせて、息子がどんな思いをするか。どんな風に見られるか。
だからきっと、母は自分を愛していない。母にとって自分は、子供ではなく玩具だった。
10歳にしてそれらの世界の仕組みに気づいてしまった自分は幸せだったのか不幸だったのか。いや、きっと幸せだったと思う。
三笠伊織に出会ったときにそう思った。
最初のコメントを投稿しよう!