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衛士が母に泣かれて無理やり芸能事務所に入所させられた日、将来の相方となる三笠伊織もまた、母親に連れられて芸能事務所に入所させられていた。
彼は宝石のような大粒の涙をボロボロと零しながら「むり、こわい」と言って泣いていたが、そんな彼を、母親が怒鳴って激しく頬を叩き、「家に帰ったらあっくんに叱ってもらう」と言うと、怯えながら嫌々契約を結んでいた。
正直、可哀そうな子供の吐き気がするような話は母の愛人から嫌という程聞かされていたし、そんな場面に遭遇しても驚かなかったが、衛士がその時、伊織をよく覚えていたのは、彼がまるで天使のように可憐な顔をしていたからだろう。
人目もはばからずに泣いていたその横顔は、幼心にドキドキしてしまう程可愛らしかった。
それからしばらくして、伊織とは事務所で再会した。彼はあの入所日とは打って変わり、完璧な作り物の笑顔を浮かべて衛士の前に現れた。
──よろしくね、えーくん
彼は自分自身を、大人が望む通りにすっかり〝商品化〟してしまい、悲しいぐらいにいつも必死に芸をして周りの気を引いていた。
衛士はそれを見て、いつも漠然とした苛立ちを抱えていた。伊織に対してではなく、彼を取り巻く周りの圧力に。
そうしてあの日、彼の着替えに偶然遭遇し、その服の下につけられた無数の痣を見た時、自分でも信じられないような怒りに駆られた。
おそらく母親か、とにかく家庭内でのことだろう。
その誰かが、伊織を殴ったのだ。
事務所に入所したあの日、大泣きしていた伊織の表情。
あれが彼の本心だ。怖い、無理だと怯えていたあの気持ちを隠して、必死に笑う伊織を、誰かが殴った。
ついに今まで抱えていた苛立ちが爆発して、思わず突き付けてしまった。
『ここは親に売られた子供が来る世界だ』という現実を。
伊織は案の定激怒し、それから長いこと徹底して衛士を避けるようになったが、彼が芸能界を去ることはなく、あの悲しい笑顔を振りまき続けていた。
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