4.事故物件・後編

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それから数年後、三笠伊織とユニットを組むことになった。 久しぶりに間近で見た伊織は、声が微かに掠れて低くなりつつあり、背も伸びて、少女のような、というよりは少年の体つきになっていた。 伊織はカメラの前では、衛士とオフでも仲が良いとしきりにアピールしていたが、楽屋裏になると、態度が180度変わり、とんでもない塩対応になる。 だが、子供の頃と違い、無視はされなかった。ビジネスパートナーになったからだ。伊織は完璧を演じる裏側ではとても意外と小心者で、歌もダンスも、暇さえあれば二人合わせて何度でも確認したがっていた。 衛士はそれに、何度でも付き合った。 『衛士。ここさ、もう一呼吸置いた方が見栄えよくないか?』 『あー、確かに。でも俺達で勝手に決めちゃうのもね~。明日トレーナーさんに確認してみよう』 『………』 『……何?』 『いや、別に。そうだな。明日確認しよう』 正直、アイドルなど真面目にやるつもりはなかった。そろそろやめようと思っていたぐらいだ。 衛士は当時、ちょうど人気に火が点いた頃だった。 幼い頃は奇異の目で見られていた恰好も、二次性徴を迎えて男っぽくなれば、そういう悪い雰囲気に惹かれるファンも増えていた。 そうなってくると、いよいよ衛士は芸能界が面倒になっていた。元々、人から注目されるのは嫌いだったのだ。 もう、母のヒステリックな泣き声にも慣れてきていたし、そこから逃れて友人の家に泊めて貰うという術も覚えていた。 これ以上、歪んだ芸能界で馬鹿馬鹿しい茶番を続ける理由がなかった。 だがそれでも、熱心に練習を続ける伊織に付き合ううちに、冷めた感情にも少しずつ火が付き始めていた。 ファーストシングルで1位を取れたら、伊織は喜び、そして、本当の笑顔を見せてくれるだろうか。 彼の本気で怒った顔も、本気で泣いた顔も見たことがある。そのどれも、作り笑顔よりもずっと綺麗だった。いつか本当の笑顔を見たいと思っていた。 そうしてついにファーストシングルCD発売間近に迫り、宣伝効果でいよいよ人気も知名度も上がってきていたある日、待っていましたとばかりに、衛士の母親と愛人である反社会勢力のつながりが表沙汰となって報じられた。記事にはついでに、衛士がドラッグをやっているだとか、路上で殴り合いの喧嘩をしたとかフェイクまで盛り込まれて、ネット上でもトレンドになるほどになっていた。 事務所は大騒ぎで、三浦は一日中各方面に詫びの電話を入れていた。揉み消すという方向で動いていたが、もしかしたらCD発売自体が、延期もしくは中止になるかもしれないとなると、伊織は真っ青になっていた。 『ごめん』 自然とそんな言葉が口を吐いた。人生で人に謝ったのはあの時が初めてだった。 『……何が?』 『何がって。あんな記事が出て……』 『いや、あれデマだろ? 俺も子役時代、学校でイジメしてる性悪とか週刊誌に書かれたけど、そもそも学校自体行ってなかったしな』 『……俺のことに関しては完全にデマだけど、本当な部分もあるし』 『お前自身が何もしてないなら、謝る必要ないだろ。時間の無駄』 それより、Bメロのところ、確認しておこうと言う伊織に、衛士は自分を指差して言った。 『信じるの? こんな見た目してるのに?』 『見た目はともかく、お前意外と真面目くんだろ。何かするときもいちいちちゃんと上と相談して決めるし、路上で喧嘩するほど短絡的じゃない。つーか喧嘩するようなやる気ねーだろ。毎日10時半に寝て朝ランしてる奴が、ドラッグとか体に悪いことするわけねーし』 それは日常の自分に対する愚痴のようだったが、衛士は嬉しかった。自分のことを、ちゃんと〝見てくれている〟人間に初めて出会った。 『でも……みんなこういうの信じるんだよな。俺達のファンだって言ってくれてるのに、なんでだろう』 伊織は心底不思議そうに、そして悲しそうに言った。
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