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週刊誌の妨害にはあったものの、火消しはなんとか成功し、ファーストシングルCDは1位に輝いた。
『伊織! 俺達1位だって!』
その日衛士は、事務所に来るなり珍しく浮かれて伊織にそう話しかけた。CDなんてどうでもいいと思っていたが、伊織の喜ぶ顔が見られると思うと嬉しかった。
だが彼は、どこか浮かない顔をしていた。
『何? もっとこう、奇声あげて喜ぶと思ったのに』
『奇声なんて、俺があげる訳ねーだろ。別に……』
伊織は口ごもっていたが、やがて『悪い』と言った。
『CD、聞いてみたけど……俺、声悪くなったな』
彼はその時、数枚のファンレターを手にしていた。
音楽番組や先行配信などでファーストシングルを聞いたファンから、すでに感想の手紙が届いていた。
曲自体には絶賛の声が集まっていたが、伊織に対しての感想は、声変わりしたことへの嘆きがほとんどだった。
彼は子役時代にも何枚かCDを出していたが、天使のようなボーイソプラノだった。
『……今のハスキーな声の方がいいと思うけど。曲にも合ってるし』
別にお世辞でも何でもない本心だったが、彼はこちらが驚くほど動揺して瞳を揺らした。
『だ、だよな! 俺も今の自分の声の方が好きで……ファーストシングルの出来、すげー良かったよな! 1位なんて当たり前だ』
彼はそう言って、心からの笑顔を見せてくれた。1位になれたことより、納得く出来栄えだったことが嬉しかったようだ。今まで見た、どんな表情よりも綺麗だった。
『……』
『衛士?』
『あーごめん、なんでもない』
その時、生まれて初めて守りたい物が出来た。彼の、心からの笑顔だった。
■
それから一年が過ぎた頃、あの悪魔のような男が、伊織を踏みにじった時は頭の中が真っ白になった。
あの日、いつまでもボイスレッスンに現れない伊織に胸騒ぎを覚えた。当時彼は、危険なほど四ノ宮に傾倒していた。衛士は度々忠告していたが、伊織は聞き入れなかった。
あの時、衛士は本当の意味で伊織のことが見えていなかった。
彼がどうして四ノ宮のような男に傾倒しているのか。その理由にもっと早く気づけていたら、あんなことにはならなかったのかもしれない。
四ノ宮は、小児性愛者という噂があり、そのほかにも悪い噂には枚挙に暇がなかった。
最悪の事態を想定し、母の愛人から組織の人間を急ぎで二人程派遣してもらい、四ノ宮のマンションに半ば襲撃のように押し入り、絶望した。
ベッドに寝かされていた伊織は頬に無数に涙の痕があり、体もシーツも血と体液で汚れていた。クスリの影響か、不明瞭な言葉を口走っていて朦朧としているようだった。
何があったのか一目で分かった。
モニターにはその最悪な時間の一部始終が収められていた。
四ノ宮は、母の愛人から借りて来た組織の人間により、半殺しにされた。
衛士は息も絶え絶えになった彼を足で踏みつけ、誓約書を書かせ、キー局を辞め、地方、もしくは国外に行き、二度と伊織に近づかないことを約束させた。
『お前ならxx組の後藤って知ってるだろ? 週刊誌にも書かれてるけど、あの人、俺のパパみたいなもんなんだ。次伊織に近づいたら、殺してもらうから』
胸倉を掴んでそう言うと、さすがに四ノ宮は青ざめたが、それでも気味の悪い笑みを浮かべて言った。
『……君自身とxx組との繋がりが表ざたになったらやばいんじゃないのか?』
『その時は、芸能界をやめる。元々、未練ないし。なんなら今この場でお前を殺して逮捕されてもいい。今ならネンショーぶち込まれるだけで数年で釈放だしな』
背後に立つ組員からナイフを借りて、思い切り振りかざし、寸前のところで首皮だけ切り裂くと、四ノ宮は半狂乱になって怯えながら首を横に振り、二度と伊織に近づかない事を誓った。
それからボロボロの伊織を自分の部屋に運び込み、体中についた血と体液、痕跡を泣きながら全て拭い去った。
この最悪な状況下で唯一、良かったことは、伊織はクスリのせいか精神的ショックからか、記憶が混濁していたことだ。
この記憶を鮮明に取り戻したら、伊織はきっと二度と笑えなくなる。それどころか、命を絶ってしまうかもしれない。
本人がその事実を知りさえしなければ、〝無かったこと〟に出来る。
この事実を知っているのは、四ノ宮と、自分だけだ。
もし四ノ宮が今後伊織に近づき、この事実を伝えるようなことがあったら、その時は今度こそ、自分の人生に代えてもあの男を消すしかない。
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